ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

孤独と向き合う

孤独と、徹底的に向き合ったこと、ありますか。
多分あると思います。
こういうブログを読んでくださる方であれば。

多分学生時代あたりとか。
いえ、時期はいつでもいいのですが

友だちといるのに一人のようなあの感覚。
自分だけがまわりに溶け込めなくて
自分だけがうまく笑えない。

だったらそこにいないで
ひとりで好きに過ごせばいいのに
それは孤独なので
誰かと一緒にいてみる。

それでも違和感を感じて
やはり孤独になる。

どちらにしても孤独ですね。

人間は孤独です。
自分の世界は誰にも知り得ない。

けれど、その孤独は誰もが抱えている

と気づくとき
人は孤独ではなくなります。

死ぬときは常に孤独ですが
誰もが死ぬ、と知ったとき
孤独ではなくなりますよね。

ところで
現代日本では自殺率が異常に高いとか。
若者の自殺者も年々増加しています。

その原因はさまざまですが、
「孤独と真剣に向き合っていないから」
というのが一因だそうです。

今、私が寂しいとき。
まわりに誰もいなければ友達にメールします。
それもいないときは、ブログを書いたり読んだり
24時間、誰かしらと繋がっているような気持には
なれます。

けれど昔は当然そういうツールはなく
孤独と向き合うと
まるで暗い穴に落ちていくように
徹底的に向き合うしかありませんでした。

もしくは全くそれから目を逸らして
友だちと遊び歩く・・・でも
一人になる時間、って絶対にできてしまうものですから。

ゲームなどの娯楽もなかったので
読書が娯楽、となるわけで
思考はどんどん深まり
孤独と向き合う時間はとても多かったと思います。

しかし現代は
孤独と向き合う時間はありません。
あいた時間はゲームをしたりテレビをみたり
何かしらで埋めていきます。
メールがあるので友達も誘いやすいですから
誰かしらと会うのかもしれません。

そうして
自分の孤独に気付かないまま
友だちといても虚しく感じるのはなぜかに
気付かないまま

何もかも虚しくなってしまう。


しかしここでひとつ。
哲学の問いを立てる場合は
時代を考慮してはいけないそうです。

時代背景にいっさい関係なく
常にその状態にある、普遍的なもの、というのが
定義だそうです。

なので、この説は哲学的、というよりは
社会学的、になるのかもしれませんが。

さきほどたまたまつけたテレビで
さだまさしさんが歌っていました。
正確にはそのものまね、だったのですが
(そっくりで聞き込んでしまいましたw)

歌詞に

わらってよキミのために
わらってよ僕のために
きっと誰もが同じ川のほとりを歩いている

とありました。

うーーん。当時は気付かなかった。
なんて哲学的。宗教学というか心理学と言うか。

相手を笑わせるのは自分のため。
自分が笑うのは、相手が笑うから、という
人間の思考。

マザーテレサでさえ、
助けさせてもらっている、とおっしゃっています。

人間は孤独でひとりだけれど、
「同じ川のほとり」を歩いてるんですよね。

でもその感覚も、孤独にひたってからではないと
わかり得ない。

いま私たちはもう大人で
一人で過ごすときも
孤独を感じることはそんなにありません。


それは
孤独に向き合い
消化してきたからなのかもしれません。

孤独と戦うには、徹底して孤独とむきあうこと。

いかがでしたでしょうか。

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