ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

地獄とは何か

今日からひろさちやさんの宗教の本を読み始めました。
哲学読み出すと思考が止まらなくなり個展準備に差し支えるので(^_^;)

ひろさちやさんは仏教・インド哲学の思想家です。
優しい文体で身近に仏教を説く著書を多数出されていて、
仏教やさまざまな思想をベースにした内容は、
気休めの言葉遊びとは一線を画します。

さて
仏教で言う、六道輪廻ってご存知ですか?
この世は六つの道で出来ていて、
私たちはその世界を生まれ変わって
永遠の輪廻の中にいる、という仏教の思想です。

天道(てんどう、天上道天界道
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう 阿修羅)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)

この輪廻を抜け出して永遠に生まれ変わらなくて済むのを目指し
カルマを落とすとか
解脱するのを目指すわけです。

つまり生まれ変わりたく無いと人は思ってるんですよね
…生きるのは苦しいんだな、とやはり。


で、地獄と言われるのが下の方の三つ。

畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)

だそうです。

それはどんな世界かと言うと、簡単に

畜生道
人と競争して勝利を得たい、人を蹴落して自分は上に行きたい、というような世界。

餓鬼道は
手に入れても手に入れてもまだまだ欲する、
果てしない物欲にまみれる世界

地獄道
あくせくと働くことだけを生きがいとするような世界

だそうです。
そんな世界に生まれたくないですよね・・・
せめて人間界、私たちの世界には
どうせなら生まれ変わりたい。

けれど考えてみると
そう、この三つの地獄、はまさに現代日本のことだと思えませんか?

そう言われてみるとまさにその通り・・・
私はこれを読んでけっこう愕然としてしまいました。

地獄は恐ろしい、と漠然と感じてはいましたが、
(あるかないかは別として)
この、今のこの世界がまさに地獄の状態だとは…。
この先の日本はどうなるのか、と
やはり漠然とでも、誰もが憂いていると思いますが、
その予感は遠くない、ということです・・・

人との競争や、物欲、あくせくと働くことを良しとすること
そういう
イライラ、がつがつ、あくせく
せずに
のんびり、ほどほどで生きて行こうよ、
というのが ひろさちやさんの仏教のテーマだそうです。

これは、地獄のように悪いイメージのものに
注意すればいいだけではありません。

近年、本屋に行けば
ちょっとどこかのブログを見れば
いかに成功できるかの記事が並びますよね。

どうすれば幸せになれるか、とか
感謝すれば幸せになれる、なんかの類も同じです。
幸せになるために貪欲に
がつがつ、あくせく

上手くいかないからとイライラ。

幸せになりましょう
夢を叶えましょう
天職に就きましょう

そんな脅迫に私たちは追われ続けているのです。

ほどほどに生きる。
中庸の道をいく生き方こそ幸せ。

哲学も宗教もこれを説きます。
それが真理だからなのでしょう。
歴史に名を残すような人々がそれを言うのですから。

地獄とは、まさに
私たちの生きているこの日本、だったんですね・・・。

ところでこの三つの道を
これを自分に落とし込んで考えてみます。

若いころはそんな人生つまらない。
がつがつと成功してこその人生、と
思ってきました・・・いえ、
若いころ、というより本当に近年まで
そう思ってきたような気がします。

でも、成功ってどこまで行ったら成功でしょう?
上には上が常にいます。
では世界一になったら成功?なんの世界一に?
なれなければ失敗の人生?
世界一をいつまでキープできれば成功?

そもそも
そういう生き方が、自分は本当に好きなのか??

そういうのが幸せで、好きなこと、なら
それでもいいのかもしれません。
そういう人は、それを
がつがつとはせず、単に楽しんだだけで
勝手に結果がついてきたのだと思います。
成功とがつがつ、はイコールではないということです。


好きなことだけして生きて行こう、と決めると
いろいろな余分なものが落ちていくような気がします。

以前なら完璧に腹を立てていたようなことも
本当にどうでもいいことになってきましたし。


私は昔から歴女でw
歴史ものばかり読んできたのですが、

なぜそんなに権力があったり
美しかったりする人たちが
出家したがるのかが謎でした。

物語の中ではありますが
源氏物語の紫の上が
光が反省して最終的に自分のところに戻ってきても
出家を望んでいたり。浮船もですが。

戦国武士や大名もそうですよね・・・
最後には出家を望む。本当に不思議でした。

でもいまはなんとなくわかります。

虚しいんですよね。
三つの道が。

人を蹴落として権力を得ることも
人の心を欲する底の無い心も
何かにむかってあくせくと働くことも。全てが。

権力もお金も
(とはいえそれらがないと仏教思想を学ぶことすら
できなかったわけですが)
何もいらない

あとは仏様のそばで
一族の菩提を弔いながら暮らしたい、

というような。

それができないならいっそ死を・・・
というような。

生きながら地獄にいる苦しさ、と
よく表現されますが、
それも今なら理解できます。

そして現代も、
自殺者が増加するのもまさに
今こそが地獄だからなんですね・・・

にもかかわらず
出家、というような道は
現代では非常に稀ですし
当時のような確固たる信心に値する宗教が無い、
とも言えます。

最近老後をどう過ごしたいか、を
たまに考えてしまうのですが

旅行しまくるか
出家もしくはそれに近い何かをするか
(たとえばお遍路とか?)
ゲームや漫画や小説に没頭するか

と考えていますw
投企する未来が想定できなくなったら
あとは日々人生の虚しさから目を逸らして
生きていく。

少し前までは、いくつになっても自分は未来投企しつつ
がつがつ死ぬまで生きていくと信じ込んできたのですが。
そしてそれが自分の幸せだと思い込んでもいたのですが。

こんなこと考えるなんて年をとったのかな、と思っていたら
高校時代の友人に、
高校時代から、私は生きるのは死ぬまで生きるという
だけのこと、みたいなことを言っていた、と言われて
笑えました。

高校時代から自分の哲学病に気づいていたら
それを否定するような生き方をしないで
もっと楽に生きて来られたのになーと思ったり。

地獄とはつまり
自分が創りだすもの、ということですね。

いかがでしたでしょうか。

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