ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分に潜る。

昨日は人と接することで
自分に出会う、というお話。

今日は逆に、自分に潜ることで、
自分の気持ち、本当にしたいこと、を見る、という
お話です。

一昨日から開催の日本画の個展。
午後の早い時間の会場は
ほとんどお客様がいらっしゃらないので
瞑想場所とさせていただいています(笑)

考えたら
一人で座って、祝詞のような歌いを聞きながら作品をみる、なんてなかなかない機会。

作品は、
じーーっと見ていると、なんというかきっかけになります。深く自分に潜るきっかけ。

作家はなんでこんなのを描いたんだろうかとか
好きだとか嫌いだとか

しかしそういうのは
時間と共に薄れてきて
あっという間に
瞑想へと導きます。
自分のこと
辛いこと
うれしいこと
次々に浮かんできて
作品をボーッと見ながら
潜って行きます。
またそれを意識して描いた絵でもあり、

引き込まれるよう、と言っていただけたときは
うれしかった(^_^)

目を閉じてしまうより
雑念を払えると思います。

そして
私たちはこの世界で生きるしかないから
絵の中の世界にひとときでも入り込んでくれたらうれしい。
現実を忘れる時間。

映画や漫画や小説でもそれは同じ効果だけれど
詳細な設定がなく、
解釈は見る人次第である詩や絵は
簡単に導入になってくれるし、
純粋な自分の思考に触れられると考えます。

絵の中に遊ぶ。
あの参道を歩き、その先にある自分とは?

私には私の未来が見えない。

でも代わりに
それでも好きに生きる自分、をみます。
毎年桜の下をくぐり
花びらにさらされ
それでも生きていくしかない自分。

神様カードをひくと、
海面は波打っていても、海の底は静か。
つまり身の回りは波打っているようにみえても
心の奥に潜れば、本当に自分がしたいこと、が
見えてくるそうです。

正直、
絵を描かずに、長年デザインや広告イラストを描いてきたのは
心の底で絵画の価値を軽く見ていたからです。

私は
この世になくても生きていけるもの、に
あまり興味がなかったんです。唯物論者に近かったw

だから小説も社会に出てからはほぼ読んでいません。
ノンフィクションの本や学術的な本は
読みまくりますが。

もしかしたら
何もなくてもすんなり瞑想したり、
違う世界に自分を置いたりできる人には
ある意味不要なのかもしれません。

それが難しい私には
絵は、「潜る」機会をくれる、と
最近気づきました。

私の宗教学の先生は、
宗教は人間の大いなる遊び。
それがなくても生きていけるもの

とおっしゃいました。
確かにその通りです。

で、ありつつも人は
宗教がないと生きていけない。
(この場合は宗教団体、とかいう意味ではないですよ。
自分にとっての神様や、死後の世界を信じること、などなど)

芸術も同じです。
無くてもいいもの、しかし
無いと人は生きるのが辛くなってしまう。

自分に潜る導入として
瞑想やお経の代わりに
絵画の中に入って行ってみませんか。

ここ数日で
ぱたぱたとまた自分が変わっている気がします。

もしくは
好きに生きる、と決めたからかな。

いかがでしたでしょうか。
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