救われるのは誰?
「善い人」「正しい人」だけが救われる。
そうでない私たちwは、救われない。
もしくは地獄へ。
ばくぜんと、そういう思想ってありますよね。
ところでこの教義、いったいどこからきているのでしょう?
神様、だからキリスト教?と思った方、
はずれです!w
キリスト教が日本に伝来したときに、それを
神
と訳してしまったのが間違いだったと言われるほど、その定義は違います。
ちなみに、哲学でいうところの神、とは
宇宙や自然の法則を司るような何か、のことです。
あるかもしれないし無いかもしれません。また各人が心で勝手に創ったものかもしれません。人間を超越したもの、を神と呼ぶ、というニュアンスを含みつつ。
私たちは神に愛されるように行動しようとしますよね。
トイレを掃除してトイレの神様に愛されたりね(笑)
こんなことをしたら神様に愛されない。
綺麗な心を持つ人だけが
正しい行いをした人だけが
他人のために尽くした人だけが
神に愛される。
犯罪を犯したり
いえ犯罪を犯さないまでも、
電車で常に席を譲るような、
心美しく生きられないような人間は
天国にいけないし
地獄に落ちる。
現世でもいいことがない、は近年のスピの説。
さてもう一度。これ、なんの神様が言っているのでしょう?
スピリチュアルだから、なんとなく、キリスト系的な??
答えは
日本の神様です。
日本の神は、祟る神です。
敬わないと呪われ報いを受けます。
これは自然信仰がベースだからで、
山の噴火や川の氾濫、雷などの自然現象を神の祟りだとし、
それを鎮めることでむしろそのパワーにあやかれる、としたものです。
そんな思想から私たちは
いい子にしている子だけ愛される
というように教育されてしまっているそうです。
親のいうことを聞く子はいい子で愛される。聞かない子は悪い子で愛されない。
と
書いている私も、
え、それ普通じゃない?と感じてしまうくらい自然です。
しかし
キリスト教や仏教などの、本来哲学がベースになっている宗教の神は違います。
彼らは
犯罪を犯すもの、罪人や
貧しいもの
汚れたものから
先に救われる、
としているのです。
なぜなら彼らは不幸であり、
不幸な人から救われるのが当たり前だからです。
ボートに乗って漂流する人より、溺れている人を先に助けるのは当たり前ですよね。
だからと言って犯罪を推奨するわけではもちろんありませんが(笑)
なんだかホッとしませんか?
神なんかいないよと言っている人でも
宗派に関わらず救うのが、GODです。
これを日本の神、と一緒にはできません。
日本には
貧乏神や疫病神なんかもいるわけですから、それとGODを一緒に考えるなんて失礼な話です。
神は許したもう
罪人であっても。
良い行い
清い心
それがなくても許してくれるのがGODです。
そう考えると、日本の神は
どこか妖精というか妖怪というか(笑)
そんなようなイメージですよね。
で、アニミズム、と言われるわけですが
では海外の神が偉いのかというと
もちろんそういうわけでもありません。
まあ、この先は神というより宗派の定義になりますが(^_^;)
もしあなたが特定宗教に属さずに、
絶対的な神、みたいなものが
いる、もしくはある、と感じるのであれば(それが宇宙の理であっても)
いいとこ取りでよくないですか??
つまりいいたいことは
今までの生き方が酷いから
死後はいい世界にいけないんだと
犯罪を犯したわけでもないのに
自分がなにか
悪い子で
汚れていて
腹黒くて
スピリチュアルでキラキラで成功しているような人とは、
だから違うんだと
そう感じたりするなら
罪人から救われる、という教義もあるんだと
そしてその宗教に属さなくても
その考えって、先ほどの船の例のように正しいことと思えるなら
なんだか、自分も救われるような気がしませんか?
私だけかな(^_^;)
私はなにか
ものすごく清く正しくは生きてこれなくて、
生きられなくて、
だからこそ
そういう思想で救われる気がします。
ちなみに仏教も同じ思想です。
弱きものから救われます。
そして、だからこそ
怖いほどに清らかな、神社、というものに
惹かれるのかもしれません。
いかがでしたでしょうか。
少しでも楽に生きるヒントになればうれしいです。
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