ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「信じる」とは

愛とは信じること、という陳腐な常套句がありますがw

子供時代にそれを聞いて
不思議でしかたありませんでした。

例え裏切られても愛している、とか
怪しいと思っても疑わないよう努力すること、
というのならわかります。
「それでも愛している」というなら。

そもそも信じる、とは
裏切られると全く思わず、
疑いもしないことですよね。
でないと信じる、になりませんから。

ということは、
裏切られても疑わしくても愛している、は成り立っても
裏切られても疑わしくても信じている、には
無理があります。
正確には、「それでも信じる、と思い込む」しか
ありえません。

ところで人間はそんなに信じて大丈夫なのでしょうか。

人間が全く何かを裏切らない、というのは
不可能だそうです。

たしかに、
信頼のおけるどんなに素晴らしい人でも、
全く何も裏切らない、ということは
在り得ないように思えます。

男女関係だけでなく
親の期待、例えば
その素晴らしい人が、世の中のヒーローになったとしても
親は平凡な人生を望み、そうなると信じていたとしたら
やはり裏切りになりますよね。

つまり期待する側はまわりであって
裏切る本人が悪いわけではないとも言えるわけです。

あなたなら浮気しないと信じたのに

と言われても
信じたのはその人の勝手ですから
彼に責任はないとも言えます。

いいえそれでも彼・彼女を信じる、というのであれば
その人が
お金を貸してくれ、と言ってきたとして
その額が何百万でもあった場合も
信じているなら借用書もなく使い道も聞かずに
貸せますよね。

息子を信じているので絶対に犯罪は犯しません!と
被害者に言えるか。
もちろん定義は 信じる、なので
証拠があがっても目撃者がいても関係ありません。
ビデオがあってもです。信じているのだったら。

誰にも言わないでね、と信じた結果
人に話されてしまうこと・・・
いえ、自分だって話してしまうこと
ありますよねW

裏切られるのがいやなら
最初から信じるべきではないのです。

いろんな詐欺が横行していますが
人を信じるとどうなるか、の悲しい結果ですよね・・・。

では「信じる」とはこの世にないのか。

信じる、とはそもそも宗教のお話だそうです。

信じる、とは人を信じるのではなく
神を信じる、という意味なのだそうです。

ちなみに神を信じる、の定義も
私たち日本人が考える定義とは違います。

日本人は、
お賽銭を入れれば願い事が叶う、というように
自動販売機のように宗教を信じている、と
ひろさちやさんの著書にありました。

信じてやるから願いを叶えてくれという原理です。
神を相手になんと傲慢なことでしょう。

ところで神様は、自分を信じた者の願いを
誰であっても叶えるのでしょうか?

どんなに悪人でも。
あいつを殺してくれと言う願いでも。
世界破滅の願いでも?

信じられてしまったら彼の言うことを聴くしかないなら
神は奴隷に成り下がります。
そんなことはありえません。

では神は自分の基準で
誰の願いを叶えるかを決めるのか?

自分を信じる・信じないに関わらず
神が気に入った人を救い、願いを叶えるとしたら

誰もその神を信じませんよね。
例えば宗教団体に入って、
この神様は必ず人の願いを叶えてくれるのですが
あなたの願いを
叶えるかどうかはわかりません。
他の団体の人の願いを叶えるか、
無宗教の人の願いを叶えることもあります

と言われたら・・・?
どれくらいの人がそれでもそこに留まるでしょうね?

すると神を信じるとはどういうことなのか。

ひろさちやさんによると、
神を信じる、とは
既に選ばれた人ということだそうです。

つまり、信じるから神に選ばれるわけではありません。
神に選ばれたからこそ、信じるようになった、
と考えるそうです。

このあたり、日本人にはわかりにくいですね。

でも海外で、無宗教だというと軽蔑されてしまうのを
ご存知の人も多いと思います。
なんでだろう?と思っていましたが
理由はこれだったんですね。

宗派は問わず、どの神にも「選ばれていない」
哀れな人間。価値の無い人間。

そういう意味になってしまうそうです。

とはいえ、宗教に入信しましょうという話では
ありませんw
私も無宗教です。

宗教団体は別としても
「神」を信じない私たちが
「人間」を信じる、とはなんとも危うい話、いえ

実際
あの人を信じる、と言った時の
なんと言葉の薄いことか・・・
それは真実は信じない、ということにもなります。

まあもちろんそれも貫けるのなら
真実にあるいはなるのでしょうけれど。

神以外に信じられる人がいるとすれば、
自分でしょうか。
自分で自分を裏切らなければ、信じることができますものね。

ところで最近宗教学をまた学びだし、
大学で習ったイスラームについてなど復習しています。
私たちがいかに無知か、に愕然とします。
なぜ日本人はイスラームを怖い、悪いもの、と思うのか?
それはキリスト教の策略にまんまとはまっている
結果なのですが・・・
近くフィードバックします。

何かを信じるには、
さまざまなものを学び、自分で選別・選択するしか
ないように思います。

いかがでしたでしょうか。

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