ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

孤独のまま「一緒」であること

おかげさまで無事個展が終了いたしました。
皆さまお越しくださり、本当にありがとうございました(^_^)
お会いできて本当にうれしかったです!

正直、この哲学ブログから日本画の個展へ、と言っても
どなたかいらしてくださる、なんて
実はほぼ期待していませんでした。

けれど思ったよりたくさんの
ロゴスの仲間がいらしてくださり、
本当にうれしかったです!

哲学を知るまでは
世界で自分だけが
神様に見放された人間のように思えていました。

でも、
同じ虚しさを内包しつつ
日々笑って生きている自分のような人がいたんだ、ということは
私にとっては本当に救いになりました。

私たちはなぜだかこの世に生まれ
死ぬまで生きるしかなく
どこから来たのか
どこへ行くのかも知らない。

でも確実に言えるのは
あなたと私は同じ「どこか」からきて
同じ「どこか」へ還ると言うこと。

これもスピ的、
耳触りのいいうわべの言葉、
では使い古されていますが
そうではなくw

これを哲学の講義で先生がおっしゃったときに、
なんだかきれいごとのような気がして
違和感だったのですが

いまならわかります。

スピリチュアルや心理学風のなにかwでは、

私たちは根底で繋がっていてひとつです、と的なこと言いません??
ひとつの魂でありつつも、
個性をもったオンリーワンであり、バラバラなものである、

という考え方。

しかし哲学が言うのは違います。

私たちはバラバラで、この世は自分でみたものしか
認識し得ず
誰一人とも魂の全てを理解することはできない。
できっこない。

この世にたった一人だけの孤独を
個性だとかオンリーワンだとかいう言葉で塗り替えても
心の底の孤独はむしろ増幅する。

私たちは絶対的に孤独でバラバラです。
オンリーワンなんか目指さなくても、
それ以外にありえない。

けれど、でも。

バラバラでありつつも私たちは一緒です。
一緒にどこかからきてどこかへ還ります。
それは全くの「無」で、何もないかもしれない。
それでもやはり同じところからきて還るということには
変わりありません。

宗教学の樫尾直樹先生の著書にもありました。
私たちはいっしょでバラバラなのではなく、
バラバラだけれど一緒である、と。

それを実感した二週間となりました。

重ねて
ありがとうございました(^_^)
いつかまたお会いしましょう!

いかがでしたでしょうか。

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