ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

人生を変えたいなら。


花鎮祭・月あかり ©2012 瑠璃白

今日からたまに絵のご紹介をさせていただこうと思います。
辛辣なwブログに、少しの安らぎをww

さて
今日も中島義道さんの本から。
1話 自己欺瞞
2話 成功しない理由
の続きです。

さて
NETに引きこもるような最近の若者が
今までの弱者とは違うのは、

自分は弱者であり能力がないと心の底で知っているのに
自己欺瞞に陥っている世代とは少し違い、

自分に能力があると思い込んでいるそうです。

たとえば中島義道さんの本を読んで
弱者という自己欺瞞をしている人たちをみても
自分もそれだとは気付かずに、
弱者を馬鹿にしたりするそうです。
この本を読んだら恥ずかしくて自分を嘲笑うような気持になるのに
中島義道は弱者に酷いことを言っている」と
評価したり。それこそが弱者の証の思考なんですが。

さて彼らは
夢のないサラリーマンとなり
毎日満員電車に揺られ
上司の機嫌をとる一生を軽蔑することで
自分は彼らよりは上だとし、

自分のすべきことは
創作であると信じて
作品を創り出す。

しかしそれをどうするわけでもない。
動画にして世間の注目を集め仕事になるような人は既に強者です。
NETでは特に注目と一緒に批判をも集めますから。

批判されるのを極度に恐れる
(自分は他人を批判をするのに)ため
強者に憧れつつも、一般大衆である弱者であることから
抜け出そうとはしない。だから努力もしない。

ここからは自己欺瞞世代も同じです。
同じように、なんの努力もなしに
自分の作品がある日認められ
家にいながらにしてお金が入り
満員電車に乗るサラリーマンを軽蔑しながら
たまにテレビから取材を受けて
世に出るのを目指します。

まだ長年の社会人を経て会社を辞めるような場合は
社会との接点の経験がなかったわけでもないのでマシかもしれません。
世間の厳しさを知っていますし、
その気になればそれまでのスキルで、社会復帰も可能でしょう。

しかし学校を卒業して一度も社会にですに
自分の能力を過信してその状態、ではかなり危ういというのは
想像がつきますよね。

私たちは成功者をテレビで見、本やブログを読みます。

「会社を辞めて
子育てしながらお家でこんな仕事を始めました、
そうしたら大成功、いまでは空きを400人が待っている状態です。」

これは誰の話ですか?

成功者、つまり強者の話ですよね。

なんの苦労もなくドンドン成功したように語りますが、
実はそうではない、人に見せたくない努力というか選択をしてきたからこその姿です。

世の中で有名になっている人は強者です。
選択をし、自分が語ることに責任を持ち、
ラクでトクなことばかりを選んできた人たちではありません。

そんな人たちの言葉をただ聞くだけでは
いい言葉だなあ、
私もそういうマインドで行こう!
と思うのもつかの間、一か月もせずに終わりw

ダイエット成功者の話をいくら読んでも
自分が何もしないなら痩せるわけがないのです。

さて
そんな弱者であるところの自分を
認識し受け止めている、
この本に書かれているのは自分だと解っている人は
自己欺瞞に陥っている人よりは少しはマシだそうです。
弱者には違いないのですが。

では具体的にどうしたらいいか、は
院をでて哲学者となり教授となった中島先生、
つまりエリート(良い意味での言葉です)には知り得ないと思います。
今のところ具体例は書かれていません。

ちなみに他の著書で、
自分の語ることもまた成功者の言葉でしかない
と語る中島先生はなんて誠実んだろう!と思いませんか?!
自分の言うとおりにすれば、何もかもうまくいく、
自分とあなたは同じです、という
耳触りの良いだけの言葉より。

確かにダイエットすれば誰もが痩せる、
猛勉強すれば誰もが良い大学を出れる。
しかしそれを実行できたかできないかでこそ
人生は違うのだから。

ところで
昨日、哲学病仲間に(笑)会いました。
そこで彼女に言われてハッとしたのですが、

いつもご紹介する
心屋さんのブログ。
ヒントはそこにありました。

どうやって今までのダメな自分から脱するか。
今の自分とは、今までラクでトクな方を常に選んできた結果です。

つまり、人生を変えたいなら、
今までと違う選択をするしかないのです。

心屋さんは、
損する、と思う方を選べ、と書かれていました。
これがまるで原理のないスピリチュアルみたいにも感じられて
…つまり○○すれば幸せになります、というような法則もない期待だけさせる言葉…
飲み込めずにいたのですが
腑に落ちました。

今までと違う選択をする
とは

今までトクでラクな方を選んだ結果
弱者になっているのですから
選択を変える、つまり損する方を選べば
そちらこそが強者の選択、となるわけです。

もちろんリスクはあります。

今まであまり参加したくなかったけれど、
仲間はずれになるのがいやで出席していた会合に、NOと言う方を選択するわけです。
これは最近私が実践している
好きなことしかしない
ということでもあります。


その結果、他の参加者たちには批判されるでしょう。
弱者は弱者同士で常に集まり
(ニーチェはこれを群蓄と呼びます)
強者の批判をするのが特徴です。

自分も本当は出たくない会合。
しかし批判が怖くて強者にはなれない。
だからNOを選んだ強者に嫉妬し批判するのです。


常識では出席だよね。
みんな出席なのに。みんなやってるのに。
今までやってきて投げ出すなんて正しくない。
皆に迷惑をかけるなんて悪い人だ

が彼らの言い分です。
まるでそれらこそが正しいことで、
自分たちは善人であると主張するわけですが、

本当は強者になれない自分を心の底では知っているわけで、
自己欺瞞に陥っているのです。
これが、「善人」の定義であり、弱者とは善人である理由です。

本当の、文字通りの意味の善人であれば、人を責めません。
人に優しいのです。

マザーテレサは、人を助ける時に
感謝されないどころか、
邪魔にされたり、強欲に要求されたりしたこともあったそうです。
それでも彼女は人を救うのをやめませんでした。
それでもその人たちを責めたりしませんでした。
本当の善人とは、こちらではないでしょうか。

そして感謝されるためにやる、という弱者の理由ではなく
自分が選択して行動しているというのは強者の理由です。
だからこそ彼女は、強者なのです。

そして、弱者は世界の大多数なので、
弱者の名の下に法律は作られます。
弱者を守るためだけに世の中は改造されてきています。
これはソクラテスの『ゴルギアス』などにも書かれていますが、
中島先生の本でやっと深く理解できました。
法律とは弱者が自分たちのために創ったものである、と。

とはいえ。
ここまで書いておいてナンですが(笑)
自分は弱者でいい、それで幸せなんだと言う人は
今までの選択で生き、死ぬまで自己欺瞞を続ければいいと思います。
それはまったく悪いことだとは私は思いません。
その人がその人の一生をどう生きようとその人の自由なのですから。

けれど、
今までその生き方をしてきたばかりに辛かったんだと
気づいてしまった人は(気付かせちゃったらごめんなさい(^_^;) )
強者の道を選べばあるいは
自分を生きることができるかもしれません。

選択の一つ一つすべてが
自分を作る。
今までと違う選択をしましょう、というのはたまに見かける言い回しですが、
違う選択というのがわかりにくいなと
思っていました。

イヤな方を
損する方を選ぶ。

と言われれば、選択時の指針になりそうです。

好きなことしかしない、つまり
リスクをも引き受け、
ラクでトクでない道を選ぶということです。

好きなことしかしない、と決めたと放した時
楽になったでしょう、と言ってくださる方が
半分はいました。
でも
とても厳しいことだ、自分にはまだ無理、と
すぐにご理解くださる方もいらっしゃいました。

今日のブログでご理解いただけたら
うれしいな・・・
好きなことだけをするのは、むしろ楽ではない方を選ぶことに
なるのですから。

今自分が選んでいる「それ」を
迷った時に捨てる覚悟なのですから。

しかし
哲学病の人であれば実践は
そうでない人たちよりは可能性があると思います。

どうせ生きて死ぬだけです。
失いたくない執着してどうしようもないような事柄、
人生、なんてそもそも無いんだと知っていますから。

人生を変えたいなら
選択を変える。

あなたが今、選ぼうとしている、しがみついているその道は、
あなたにとってラクでトクな道、では
ないですか?

いかがでしたでしょうか。
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明日はまたこの続きでお会いしましょう(^_^)