ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

人生とは自分を生きること。

自分の、譲れない美学ってありますか?

今日も中島義道さんの本から。
こちらからの続きになります。
1話 自己欺瞞
2話 成功しない理由
3話 人生を変えたいなら。

美学、なんていうと、なにかものすごく徳の高い素晴らしいものに感じますが
そこまで突き詰めなくても、
自分にとって美しいと思える生き方、と言ってもいいのではないでしょうか。

ちなみに哲学的には、それだけで一つの学問のジャンルになるほど
大きな問になります。
美学学士、というのもありますから。

自分にとって美しいと思える生き方を
生きること。

これってつまり、人生そのものです。

人生に意味などない。
生まれた意味もなく
私たちは人類の未来のためのひとつの部品ではない。
(人類の目的があるというのは、種の保存(の可能性)以外はまだ不明です。)
魂を高めるために現世があるのかもしれないとか
カルマのために現世に生きているのかとか
信じる人にだけしか通じない論理。

そして
どういう人が幸せなのか、という幸せの定義はありませんよね。

としたら
私たちは自分の人生を生きる、という
それこそが人生の意味です。
人生は「何かの手段」ではなく、
そのまま生きることが意味なのです。

その時本来指針になるのが 美学 です。

犯罪者にも存在するくらいですから
美学とは倫理の問題とは別のようです。
主君のために命を落とす武士、というのが
美学、といえば思い浮かびそうですが
倫理的には問題がありますものね。

不利とわかっていても負ける武将につく、というのも
また美学。
主君を裏切り、時の武将に仕え、お家を護るのもまた美学でしょう。

つまり美学とは人それぞれであり、
他人にとっては些細なことでもいいのです。
常にピカピカにトイレを磨きたい人には
それが美学です。
そんな時間で学問したい人はそれが美学です。
日本中のラーメンを食べ歩き、比較する美学や
鉄道に美学を求める人もいますよねw

こだわり、といってもいいかもしれませんが
今日は敢えて 美学、 です。

近年、日本人はその美学を失って生きているそうです。

本来美学を守るには、争いや批判は避けられません。

会社での飲み会。
行きたくない。
愛想笑いでビールを注ぐのも
そのために時間を割くのも
そんな呑み代を自分で払うのもいや。
職場のコミュニケーションは、もっと違う方法でも
とれるはずだし
その時間とお金で、友だちと楽しく呑んだ方がいい。

という美学だってありますよね。
具体的すぎますか?ww

しかしその美学を護ろうとすると、
また弱者たちが善人の言葉で責めてきます。

「社会では常識」
「うちの部は全員参加するのにひとりだけ欠席はだめ」
「コミュニケーションを図るためには必要」

そんなプレッシャーを受けたくないので
人は自分も弱者の仲間になります。
本当は行きたくない、けれど
「陰口を言われるから」
「査定に関係しないとも限らないから」
「取りあえず出ておけば波風は立たないから」

そうして自分の美学を捨てます。
飲み会だけじゃないですよw

(余談ですが、一昔前ならまだしも、
現代ではそんな会社の飲み会はないのでは?と
思った昭和の方・・・w
一時は「プライベートを優先する」と言う若者が増えて
いると言われていましたが、
現代はむしろ、以前のように増えているそうです。
この不景気では会社に逆らえない空気があるでしょうし、
仕事のやり取りもメールなどが多い昨今
コミュニケーションをとる手段として
復活しているようです)

弱者は他者との争いを極端に嫌います。
だから美学を捨ててでも
「まわりに合わせる」のです。「空気を読んで」。

なぜなら自分が攻撃されたくないからです。
批判されたくないからです。
自分が批判されたくないばかりに、他者を批判しない。
自分が優しくされたいばかりに
他者に優しくする。
自分が慰められたいばかりに
他者を慰める。

それを突き詰めていくと、どうなるか。

みんながみんなにやさしく、
批判もせず、自分の美学を持たない社会。

だんだんそういう社会が実現されていきます。

それと同時にますます美学を貫けない社会になっていくのです。

年金を払わない有名人の集まりは
それが美学であり、それを貫き通しているわけです。

年金制度、だめじゃん、と思いつつ
ただ支払う私も弱者に他なりません。

社会の大多数に埋もれて
ひたすら目立たないことを目的として生きる人生。

人は、自分の美学をまっとうするために
生まれたと言うのに。

ところで先ほども書きましたように
美学を全うしようとする人を
弱者は責めます。

それは痛烈な自己欺瞞の裏返し。
自分も本来そうありたいのにできない、
だからそれをする人を批判する。

あるいは
あなたのためだから、といいつつ

あるいは自分でその意識さえないままに。

自分の美学を守るためには
争いが避けられない場合もあるのです。
争いを避けるために譲る、自分の人生って・・・。

離婚なんかもいい例かもしれません。
争うのが、人を傷つけるのが、自分を傷つけるのが、
いやだから
親戚たちや友達たちに非難されるのがいやだから
美学に反しても旦那さんの定年まで我慢するw

一方その旦那さまはw
仕事がつまらない、会社がつまらない。
彼には夢があり
上司に嫌味を言われたり、つまらない商品を
だますように人に売りつけることは美学に反する。
しかし定年まで我慢するのです。
家族の非難
社会の非難

もちろんそれらが自分の美学に反さない場合は
離婚や退職をしなくてもいいわけですがw

ところで会社を辞めて好きに生きようと決めた人に
あなたは何と言いますか?

辞めない方がいいよ
成功するチャンスなんかないよ、そんなの夢だよ。
安定を失うと大変だよ

しかしそれは
その人を思った一般常識的な善人の言葉でありながら
実は自分がそれをできないことからの
自己欺瞞です。
心の根底では誰かが強者になり成功するのが嫌なのです。

ちなみにムーミンのミーの言葉。

「あなたの夢を、そんなこと無理だっていう人いるでしょ。
こう言い返してやりなさい。
あなたには無理ね、でもわたしはできるの、あなたとわたしはちがうから、って。
でも言ったからには夢をかなえなきゃいけないことも覚えておきなさいよ。
でかい口たたくんだから。」

自分の美学を守り、そう言いきって生きる。
しかし言ったからには「覚悟」です。
でかい口たたくだけ、で何もしないならやはり弱者ですもんね。

まずはできることから
自分を生きてみたい。そう思います。いえ
そう決めました。

「飲み会に出ない?
あなたには無理ね。でもわたしはできるの。」

自分の美学を守り、実現することが
人生そのもの、なのではないでしょうか。


いかがでしたでしょうか。
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