ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分の全てを認めよう

あなたは、自分の事が好きですか?
本当に?

自分は自分が好きで仕方ない、と
人に言うのは簡単で
思い込もうと努力もできますが

本当の根本のところはどうですか?

自分を好きになる、とは
自分の全てを認めることができるか、と
言うこと。

自分の全て、とは
認めたくない自分のことも飲みこむ、ということです。

もしそれができれば、
自分を好きになれます。

以前もこちらに書きました。
自分を好きになる方法

とはいえ、認めたくない自分ってなんでしょうね?
考えて思い当たることはありますね。
それを含めた自分を認めてあげれば
いずれ(といってもすぐに)自分を好き、と
思えるはずです。
ちなみに他人に認めてもらう必要はありません。

自分で気づいていることは、もう既に
認めている、とも言えるかもしれません。

問題は
自分で気づかない部分です。

これを見つけるには自分を直視するしかなく、
たいていは認めたくないばかりに目を逸らしてしまいます。

セッションでも何人かの方にお勧めしたのですが
いまだにできない、と皆さんおっしゃいますので
炙りだす方法をご紹介いたしますw

ずばり、
「嫌いな人」
「むかつこくこと」

が、あなたの中にある、自分で認めたくない部分です。

これ、かなり認めたくないですよ。
でもこれができるかどうかで、
自分を本当の意味で好きになれるか、
あなたのその自己評価の低さをあげられるか、
に関わります。

今、あなたの一番苦手な人や
いろんな人の、一番むかつく部分を思い出してください。

それは、あなたの中にあるものです。
よく言われますが、本当にそうなんです。

わかりやすいように実例をあげますね。

例えば。
自分をさっぱり、男みたいなさばさばした性格で、
なぜまわりの女友達が悩むのかわからない。

ぐずぐず答えの無い悩みのなかを
ぐるぐるしているのを見るとイライラする、ムカつく。

これ、昔の私ですw

そして直面するのです。
本当に辛いときに、自分はそんな女友達たちよりも
よほどぐずぐず悩む性格だった、ということに。

そんなの認めなくない!
こんなに弱くて女々しいのは自分じゃない!
こんな自分、大嫌い。
一番嫌いなタイプ!

辛かったです。
でもそれを認めます。
自分は弱いのだと。

そこを認めないと、自分は弱くない、
相手が悪いだけ、

となり
次のそういう機会に
やはりまた弱い自分のまま悩むことになります。

ちなみに私は2回これを繰り返し、
2回目にやっと飲みこんで

けっこういまは強いですね、精神的にw


例えば
周りの空気を読まないで、まわりを傷つけてばかりの人がいる。
その人がむかついてしかたない、という
ご相談でセッションをさせていただきました。

それは、
その人を羨ましい、と思っているからです。

その人は、そんなにわがままなのにもかかわらず
友だちはいるし、結婚もしているし

それが許せないのは、
自分は周りの空気を読み、あんなにわがままではないのに、
ずるい、と思っているからですよね。
自分も空気も読まずにまわりをふりまわし、
自由にしていたい。

でもそれをすると、友達を無くすかもしれないから
できない・・・

その我儘な人は、つまり強者ですね。
まわりに嫌われようが関係ないのです。
そしてそれでいいのです。
それでも友達はいるのは、彼女に魅力があるからですよね。

本当に単なる嫌な我儘な人、というだけなら
誰一人友達にならないはずですから。

しかしそこを飲みこめない、と
事態は変わりません。

自分は本当は彼女を羨ましいと思っているんだ、

自分の認めたくない部分も飲みこめれば

多少我儘をしても、友達は去って行かないもんだと
わかるはずです。


例えば。
自分から友達を誘えないという方。
典型的ですが、心理学的には、
断られるのが怖いから、自分から誘えない人です。

が、それを指摘しても

「今はそういうことも無くなった」

と言うのです。
以前はそうだったけれど今は違う、と。

以前自分から友達を誘えなかった。
今も誘えないまま。

なぜ今は違う、というのでしょう?
何も変わっていません。
変わったなら自分から誘えるはずですよね。

でも、そこを認められない。

え、たったそれだけのことなのに?
と思いますか?

意外に多いですよ。
今は違うんだけど、と答える方。
しかし何も行動は変わっていないので、
何も変わっていませんw

彼にフラれて忘れられず
いつまでもメールしてしまう。

でも今は変わった、もう忘れた、というなら
もうメールはしませんよね。

にもかかわらず、メールしてしまう、それに返事がないと悩む・・・

それらが悪い行動だ、というのではないのです。
そこを認めることができるかどうか、が問題です。

そんな自分であることを。

これも心理学のあまりに有名な例ですが

ダイエットをした、と話すと
まだ開始したばかりで体に悪いとかストレスとか
ありえないのに

「ストレスたまるよ」
「身体に悪いよ」

と言う人、必ずいますよねw

あれは、自分もダイエットしなくてはいけないのに
できない、という気持ちか

ダイエットではなくても、
なにか始めるべきなのにできないので
他人の決心を鈍らせたいからだそうです。

自分はダイエット不要でも、
誰かがきれいになるのが許せない、という
深層心理の場合もありますね。

ダイエットを公言すると、誰かしら言ってくるので
おもしろいですよw

もちろん、誰が見ても健康に悪いダイエットであれば
話は別ですがw

通常1日2日はたまに絶食した方が
身体にいいのは今やだれでも知っていますので。

そういえば
むかーーしいたデザイン会社は女性が多かったのですが、
誰かしらが、ダイエット始めたんだ〜と話すと、
必ずケーキやお菓子を買ってきてくれる先輩がいました。
(ちなみにきれいな方でした)
それが100%の確率だったので
おもしろかったです(^_^;)

まあ、そんな感じで自分の中の違和感、
なぜあの人を嫌いなのか?に気づき
それは自分の中にあるもの、つまり

同じ要素をもっていて嫌だったり
実は羨ましかったり

ということになります。

嫌ですよねー
認めたくない!

セッションをさせていただいた方の中でも、
これを認める、と決めた人と
そうでない人がいらっしゃいます。

認めたくない!といいつつも、
でも直視してみる、という人も。

これこそが、
「他人は自分の鏡」という意味です。
むしろありがたくないですか?
自分で直視したくなくて見つけられない
自分の認めたくない部分を
教えてくれるのですから。

最近私はそんな感じで
2つのことを認めました。
なんというか、飲みこんだ、に近い感覚です。

もう、ほんっとに変わりましたよ!
数日で!

だってもう、こないだ長島先生の著書をご紹介したときには
世界は虚しくて消えたくてしかたなかったですからww

でも今は解る。

自分が何に、誰のどこにイライラしていたのか。
そしてそれは自分にとって羨ましいことではなかったのか。

間違いなくそうです。
私は、それがうらやましかった。

でも認めるとそこを改善せざるを得なくなるので
見たくなかった。

でも見てしまえば、飲みこんでしまえば
そこから始まるんです。
違う人生が。

そこを認めてしまえば、
友だちのダイエット開始宣言や成功談も怖くありませんww

認めたくない、でも飲みこむ。
私は哲学仲間と一緒にそれを無理やり始めています。

そんなの自分じゃない、嫌いだ、という部分は
自分の中にあるものです。
無いものであれば、気づけませんから、
そもそも嫌いにすらなれないのです。

一緒に、自分を認める道を
歩いていきませんか?

いかがでしたでしょうか。

励みにしております。
クリック、よろしくおねがいします(^_^)
 ↓

人気ブログランキングへ