ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を騙さずに生きる。

さて今日もハイデガー存在論

昨日お話しした、
疑う、ということをもう少し哲学的にご紹介したいと思います。

ちなみに参考図書はこちら

ハイデガー 存在の謎について考える (シリーズ・哲学のエッセンス)

ハイデガー 存在の謎について考える (シリーズ・哲学のエッセンス)

存在の謎について考える

ハイデガーを読む前にこういう易しい本を読むと、
読み解きやすくなるかと思います。

さて私たちはなぜ問いを発するのか。
知識や情報、答えを得るためだけでなく

いかにより良く生きられるかについて
常に考えてしまいますよね。

本当にこのままでいいのだろうか
もしくは
本当に違う道に進んでいいのだろうか

もちろん答えはありません。
しかし、考えてしまいます。

そんな中でも、
なにも問題がないようなときにあえて

これでよいのだろうか

と問いかけるとき、
私たちは本当の、ありのままの自分から問われていることになります。

その問いはとても厳しい。
このままでいいやと漠然と思っていたことを
根本からもう一度見直すことになります。それには相当な覚悟がいります。

例えばいま全く問題がない状態で、

自分の結婚は本当にこれでいいのか考えてみる。
順調な仕事を、本当にそれでいいのか考えてみる。
人間関係を、このままでいいのか考えてみる。

これはありのままの自分との対決です。

あまりに厳しすぎてそれを回避する人も多い、というかほとんどがそうでしょう。

例えば離婚を迫られる、
仕事をクビになりそうだ、
など具体的な問題や強制があるときは、

神様がいい道に運んでくださる

とか言って(笑)なるようになるのを待つことも出来ます。

でも、
そんな問題もいっさいなく、
むしろ幸せなときにその問いを問うのです。

放置するわけにはいきません。

そこで
たいていは、

まあいいや
考えてもしかたないし。できないし。
考えたくないし

と答えを回避してしまいます。


しかし
これでよいのだろうかと本当に自分に問い続けるなら

あるべき自分の姿が見えてきます。
それは本来の自分です。

あるべき姿が見えても、
実行できない場合もありますよね。
それは非本来の自分。

そして心は揺れる。

会社をやめたいという本来の自分
でもできない、という非本来の自分

両方自分です。

その、
本来の自分と非本来の自分との間で揺れ動く心こそが
あなたの真の、ありのままの姿だそうです。

けれど答えはありません。
だから人は考えること、つまり自由を放棄して
蓋をして生きていくわけです。

逆にここを徹底的に問える人は
ありのままの自分を生きられる人と言うことになります。

私は、
厳しいけれどありのままの自分に問うて生きていきます。
そう決めました。

アーティストとしてそこを回避して
真の作品は描けません。
だから作家は変わってる人が多かったのか!!(笑)
私のように、うまいことそこそこ自己満足の行く仕事に就いて
自己欺瞞で生きてきた人間が

心に空洞ができるのは当たり前ですね。

とはいえこの、描くという行為にさえ
問いかける必要もあるわけです。

そこで不要だと結果付ければ
本当の意味での筆を折る、になりますね。

筆を折る、の意味が本当にわからなかったのですが
(売れている人の無言の主張、もしくは
売れない人のあきらめ、かと思っていました)

ちなみに
それを失うかもしれない、という覚悟をしてこそ
自分への問いがなりたつそうです。

こんな小難しいこと考えずに
毎日楽しく生きる、ができればもちろん
それに越したことはないのですが
自己欺瞞だけは避けたい。
そうでないと、自分の人生を生きたことにならないから。

他人は自分の鏡、
人を見てイライラする部分は
実は自分の中にあるもの、と以前書きましたが

最近私は
自分を欺きつつ生きている人を見ると
イラッとします・・・ので、
私自身も自分を欺いてきて、それがいやで
しかたないのでしょう。

本当は●●になりたかった。
でも自分には到底無理だし、
△△になった。
△△だって立派な仕事だし、
自分には向いている。
家族もいるし、これでよかったんだ

と自分を騙して生きる人生に
何の意味があるのでしょう。

だったらいっそ
●●になれなかった自分を
歯ぎしりしながら悔しがって生きるか

●●をするために、生活のためには△△をする

なら自己欺瞞ではありませんよね。

夢をあきらめざるを得ないときはありますが
そんなときは
自分の能力不足で夢をあきらめる、
としっかり認識しないと
次の夢に向かえないような気がします。

単に夢に蓋をして
本当の夢は違う夢だった、△△の方だった、と
自分を騙してしまったら

後の人生はずっと自分を騙して生きるだけです。

私の心の空洞は
自己欺瞞がじわじわと広がった結果だったのではないか、と
今は思っています。

辛くても
苦しくても
(もちろん楽しいかもしれません)
自分をしっかり見つめ、
人を騙してもw自分は騙さない。

そうすることで、ありのままの自分、を
掴まえられるような気がします。

いかがでしたでしょうか。

またまた色気の無い辛辣なブログを書いてしまいました(^_^;)
でもわかる気がする、と思ってくださる方
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