ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

パンセ 人生は虚しいもの

ロゴスの小径へようこそ。

人間は、何ら倦怠の原因がないときにも、
自己の素質の本来の状態によって倦怠におちいるほどまでに、不幸である。
また人間は、倦怠になお幾多の重要な原因にみちているときでも、
玉突きやまり投げなどつまらない遊びで十分気がまぎれるほどまでに、空虚である。
(『パンセ』 パスカル 松浪信三郎訳)

久々にパンセを読んだら人生の虚しさにまた
気づかされましたw

パスカル自身はキリスト教徒なので
そう悲観的ではないとも言えるのですが
やはり哲学者はいつでも虚しさを内包しています。

世間はサッカーで大賑わいで
本当にすばらしい偉業なのでしょう。
私はまったく関心がないのですが、
選手の方々の日々の思考は
多分、生きるか死ぬかのようなギリギリに研ぎ澄まされたようなものでしょうし

でも、

人類は、ならば
より速く走りより高く飛ぶのを目的に存在しているのでしょうか?

そしてそれを極めたその先に何があるの?

魂のランクがあがる??ww
ではその先は?

人間は獲物を得るために狩猟をするのではない。
人生は倦怠、退屈なものなのです。
人は忙しいときは休息を求めます。
けれど、仕事がおわり、長い急速に入ると
一気に退屈し、そしてその先の不安を思い描くのです。

一生遊べるほどのお金や地位があっても
待っているのは倦怠です。

だから人間は戦争をしたりしてしまう。

倦怠よりも刺激を求めるのは
人生の虚しさに目を向けないためかもしれません。

その退屈を玉突きやまり投げで埋めることができるほどに
人生は空虚であるんですね・・・。

プラトンの洞窟の比喩を思い出します。
洞窟に写った影を、この世の全てだと思い込んで生きる囚人。

何をしても、
結局人間はそれでしかない、と思わずにはいられません。

人生は退屈なもの。死ぬまで生きるしかない。
でも、それでも生きるしかないので

楽しくてしかたない、と思うようなものを見つけて
一生を埋めていくわけです。

でも、だからこそ
好きに生きるしかないんですよね。

幸せになりたい、というときの
幸せ、
とは
自分の好きに、自分を生きる

しかないのですが
キレイごとではなく、それ以外何もないのです。

人のために生きる、というのも結局
人のために生きる、という自分の好きに生きているに他なりません。

最近カントにとりかかり、
その難しさから読みやすいパンセを開きましたが

やはりどの一文も
深く思考へと誘ってくれます。

ところで最近、とある会社の社長室に
お邪魔する機会がありました。
本棚には本がずらり。
本を見ればその人がわかるわけで、
それを意識してのディスプレイだと思われます。

経営系の本がメインで
哲学書が一冊もない。

心理学や社会学の本がかろうじて1,2冊。
でもそれも、経営、につながっている本です。

以前私は、世の中は本を読む人と読まない人の
二種類だなと思っていましたがw

いまは哲学を知っている人と
知らない人の二種類なんだと気づきました。

いい、悪いではなく。

ちなみに哲学書を読むから哲学している、という
わけでもありません。

人生を、ある種の虚しさに気づきつつも
思いきり楽しんでいる、楽しもうとして生きている人。
それが哲学的な人だと思います。
(虚しさに気づいてそれを追求するのが哲学者)

人間の重大な秘密を
唯一語っているのが哲学。
でも人はそこに気づかないふりをして生きる。

スナフキンがあんなに自由で楽しそうで、
しかし虚しさを内包しているでしょw

でももしかしたらそれにも気づかず
・・・
パスカル言うところの、
人間は獲物が欲しくて狩猟をするわけではない、
の意味がわからない人・・・
毎日まり投げで幸せを感じている人こそが

皮肉などではなく、本当に幸せな人なのかもしれません。

いかがでしたでしょうか。

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