ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「理性」ってなんだろう

ロゴスの小径へようこそ

カントの純粋理性批判にとりかかっています。

ところで、理性ってなんでしょうね?

わかっているような気もしますが、
でもあなたのその「理性」とは
世界の誰もが認める、「理性」的なものでしょうか?

理性的に考えたら当然こうすべき、というのが
ありますが

それを突き詰めて、
絶対にそれが正しい、とすると、結局独りよがりの
自分の意見、ということになりますよね。

先日、小平市玉川上水沿いの美しい木々が
切り倒され道路になる、というニュース。
ご存知でしたか?

理性に照らせば自然は当然守るべき。

まあ、住民投票率50%以下の場合開票もしないという
やりかたの良しあしは別としても

自然を守るべき!という記事を
シェアしている人がたくさんいました。

理性に照らせば、当然。
私も始めてそのニュースを、二年くらい前に知ったときは
自然は当然守るべき!道路なんかにして人間は勝手だ!と
思ったものです。

しかし、まあニュースなので真偽はわかりませんが、
実際は、木の根が腐って、今のままの保護では危険だということや
周辺道路の渋滞が酷いそうで、住民の方々は
困っておられるとか・・・

補修をして自然を守るには多大な資金が必要です。
それを支払うのは市民の方々の税金。

そこへ、一円も支払わない私が、
守るべき、と言うことができるのかどうか。

物ごとには全て表裏があり理由があり
自分が見ている者はたいていが一方向からの視点です。

となると理性とは、
その事象と自分との間にあるもの、になってしまいます。

自然は守って当然
なのか
防災、人命を最優先して当然
なのか。

ここで答えが言えなくなる人は
懐疑論者になります。

判断できない、だから語らない、です。

一方自分の感情だけで
自然は守るべき!という、自分の意見だけでそれを正しいとする人

人はどちらかに分けられるそうです。

そしてどちらにしても哲学の死を意味すると。

しかし後者はまだ安楽死であると言える、とカントが言うのは

自分が思った世界が全てである人の、ある意味
幸福であることをさしているのか

懐疑的になり何も語れなくなる哲学体質にありがちな人の態度を
よいものとしない、ということをさしているのか。

世界を知る道はまだまだ遠そうです。

いかがでしたでしょうか。

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