ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

最後の、夏。

ロゴスの小径へようこそ。

いよいよ夏!って感じですね。
子供時代の夏休みを思い出して
甘い気持ちになぜかなります。

安いアクセとワンピースとサンダル。
友だちと皆で旅行
海の花火。
夏だけの出会いやw

いつのまにそういうのをしなくなったんでしょうね。

大人になったらしてはいけない、と
誰もが思っているから?

しかし海外では、夏休みに
大人もそんな風に楽しんでいますよね。

日本人の思想に深く根付く、儒教の思想。
「こうあらねばならない」という思想は
思ったよりあちこちに浸透しているようで

日本の哲学者、木田元さんによると
哲学の読解にもやはり、そういう思想が入り込んでいるとか。

例えば尊敬するような人。

その人の業績をみて、尊敬すると、
その人の人柄も素晴らしいものであると期待したり、
その人の生き方まで模倣しなくてはいけない、と
私たちは思い込みます。

ジョブズは素晴らしい、となれば
その人柄も素晴らしくなくてはならず
(よって、素晴らしいところだけ見ることになります)
彼の生き方まで模倣したくなるのです。

でも本来、その人の業績と生き方の素晴らしさや徳の高さ、と
言われる様なものは、別の物です。
たいてい天才と呼ばれる様な人の私生活は
目を背けたくなるようなことが多かったりします。
それは、笑いで済む程度ではないような。

素晴らしい人、と呼ばれる様な人が
成功する、となぜか信じてしまうのも
儒教の影響だそうです。

さて、私たちがなんとなく思い描く、「大人」の
イメージ。
それに沿うように私たちは生きています。

でも、そんな定義はもともとないですよね。

人に迷惑をかけないのであれば
そして自分が、あるいはリスクを背負ってでもそうしたいのであれば
別にスーツを着なくてもいい。
電車で食べ物を食べてもいい。
子どものような夏を過ごしてもいい。

ちなみにそれらはむしろ
業績のある人には許される行為である場合も多いそうです。
確かに芸能人であれば犯罪を犯しても
1年で復帰、などざらですよね。
一般人が同じ罪を犯したら
仕事は失うでしょうし、同じ会社に復帰はまず無理です。

例えば有名な芸能人や文化人が
反骨精神でスーツを着ない、などを
私たちは許しますよね。
一般人なら許せなくても。
結婚式に、有名な芸能人がスーツでこなくても
あるいはジーンズで来ても許されるのではないでしょうか。

それは業績があるからです。

業績があるから好きに生きられるんだよね、と
考えるとなんだかせつないですが

逆です。

彼らは好きに生きてきたからこそ業績を伴っているのです。

好きに、生きよう。
この夏は、あなたにとって私にとって最後の二度と来ない、夏。

哲学仲間と約束しました。
夏に、着たい、ふりふりのワンピースを着て
二人で旅行しよう、と。
なんとなくもう着るのもアレか・・・でも大好き、という服。

業績のない私たちでも、
夏の旅先ならきっと許してくれますw

自分で勝手に考えた大人像。
誰もダメだと言っていないのに、してはいけないこと。(犯罪はダメですが)
あとで人生を振り返ったとき、そんなことを気にしていた時間が
もったいないな、と思うわけです。

周りがどう思おうと関係ありません。
もちろんそれで自分が不利益を被るなら
TPOと言われるものを利用するのが賢い、と
私は思っていますが。
だって周りの業績の無い人は、それを気にしますから
それに合わせればいいんです。

ところで夏を楽しもう、と決めたのは
始めて一か月半くらいになるダイエット、というか
筋肉増量計画wが順調で
服なんかもいい感じに着れるようになってきた(※当社比w)からです。
ここ3年くらい服はほぼ買わず、画材に費やしてきましたがw
自分の中に、キレイにする、オシャレする、というチャンネルが
また戻ってきたわけです。
これが楽しい!

一か月半前に決めたその日から
もう人生は変わっています。
これが自己投企、です。「いま、ここ」というように
今、日々をしたいことをして過ごすのが人生、でありながらも
あの日、今日もケーキ食べよう、ではなく
筋トレしよう、と未来のために選択し、動かなければ
今の自分は無かったことになります。

夏を満喫しつつも
ただ遊びましょう、ではないというお話です。
わかりますよね、この感じ。

いい夏にしましょう。

いかがでしたでしょうか。
月曜ですが、夏のキラキラを思い出して、わくわく過ごしましょ(^_^)

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