ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

弱点の発見こそが幸せの鍵!

ロゴスの小径へようこそ。

自分の弱点、ってわかりますか?

そんなの認めたくない、知りたくない。

自分は今のままで完璧、
今のままで幸せ、ハッピーという呪文で
心の底から幸せな人はそれでいいと思います。
そういう人は、自分が叶えたい夢を叶えている人を見ても嫉妬のカケラもなく、
心のざわつきもなく、幸せに生きていけばいいと思っています。

皮肉ではなく、本当にそう思います・・・

しかしちょっと話はそれますが、

●●する人は幸せだよね、私は違うけどね、
●●さんは優しいし、なんで彼女いないんだろうね、私は彼には合わないけどね

という
私も良く使う言葉

それらも実は欺瞞らしいです。最近読んだ哲学書にありました。
自分は違う、という時点で否定しているわけですから。

と言ってしまうと身も蓋もないので
この辺の掘り下げは次の機会にw


で、話を戻しまして
成功者のほとんどが言います。
コンプレックスを乗り越えたからこそ、今の自分がある、と。

スピ系の人で、
コンプレックスというものは存在しません、というセリフ
(セリフですね。)をたまに聞きますが
ないわけないじゃん・・・
いや、本当にないのならすばらしい!
自分なりの成功、幸せを勝ち得た人でしょうから。

しかしほとんどの人がいくら蓋をしても
コンプレックスはあると思っています。

ちなみにコンプレックスとは、他人からみてどう、ではないですよ。
ものすごく痩せていて美しい人でも
自分は太って醜い、と考えていればそれは
コンプレックスです。

コンプレックスを抱えつつ
それを見ないふりをしているのは
本当はとてももったいないことです。

そこを直視して、クリアしていくと
単に自分が強くなったり、
コンプレックスが消える、というだけではないんですよ!

もれなくオマケつきなんですw

弱点を強みにする、とかいうと
わかりにくいですが

弱点とかコンプレックスだとか、とにかく自分の
心がなぜかざわついて居心地悪い部分。
そこは、実は自分が本当に欲しい部分だったりするわけです。

英語を話す人をみて、別になんとも思わない人。
そこにコンプレックスはありません。

私はサッカーの知識が皆無でサッカーで皆さんがオレオレ言っているときに
全く楽しめませんが、コンプレックスはありませんw
自分が本当に欲しい部分ではないからでしょう。

仮にモデルさんや芸能人の美しい人の隣に
自分が並んだら?
これでコンプレックスを感じない人というのを見てみたい!

たまたまコシノジュンコさんがテレビでトークをされていました。
その予告だったか、そんな程度なんですが

モデルさんの横にたてば誰でもコンプレックスは感じる、
モデルさんと自分とは明らかに違うわけですから。
でも、そこで終わりではダメで、
少しでも美しく見せる努力をしていく。
そこがコシノジュンコさんの成功の鍵だったとか。

松任谷由美さんも、成功はコンプレックスのおかげ、
とおっしゃっていますね。
林真理子さんも。

多かれ少なかれコンプレックスを武器に、
むしろそこを直視して掘り返すことで
「人並み(自分が考える)に」なるどころか、
成功(自分が考える)した、ということです。

私たちは(あ、たち、とか一緒にしてごめんなさいw)
成功していないのですから、成功とはどうやって得るものかは
成功者に聞くしかありません。

とはいえ。

自分のコンプレックスって実は見つけにくいです。
自分が見たくない部分なので見ないようにして
自分にも周りにも巧みな言い訳を既に用意してあるしw

そこを見つけることが、今の自分を変えるきっかけに
なると思います。
少なくても、強者になる道の一歩になります。

繰り返しますが
そこを掘り起こしたくない、自分はそのままでいい、
それが幸せ、と言う人はそのままでいいのです。

ちなみに私が今朝友だちとのメールで気づいたこと。

私は人との出逢いが大好きで
人と話すのもとても好き。
人見知りはしないし、むしろ初対面が楽しい!

でも
何かしらの集団に入りこむのが苦手だと気づいたのです。
ちなみに、遊びならいいんですw
例えば友達の友人たちが皆で海にいく、
そこへ一人で参加、も平気です。

しかしそれがひとたび、
何かしら意味のある、既にできあがった集団・・・例えば
PTAとか(子供いないので想像ですがw)
地域でワークショップなどをしている集まりに開催側で参加、とか
ジムで集団でかたまってるおばさまたち、とか

超苦手ーーーーーー!!!!
なんだか、その輪、和を壊してはいけない、
そのグループの空気や習慣など何も知らない新参者なので、
空気を読んで失礼のないようにしなくては申し訳ない、と
思ってしまうのです。

自分や周りへの言い訳的には、
私は自分では意識していないのですが、
どうも自由奔放らしく、
集団行動が苦手だし
その集団のカラーを変えてはいけないから、と

ああ今は既にこれを書くのも恥ずかしいし苦しい。
気付けば数時間、いえ数分でもう自分は変わりますね。

その裏にあるものは?

その集団のカラーや雰囲気、空気を読まずに
ズケズケと物を言ったりして場の雰囲気を壊す人、いますよね。
でも本人はそれに気づいていない。
まわりはうっすら気づくけれど言えないし。

それになりたくないから、私はひっそりしてしまうわけです。

でもそれは逆。
心がざわつくのは、その逆のコンプレックスなり弱点なりが
潜んでいるわけです。

私はそういう人になりたかったんだ。

周りの空気なんか読まずに
自分の言いたいことを言う。(ちなみに人を傷つけるようなことを言うわけではありません)
それで周りがどう思おうが関係ない。

そもそも、場の空気ってなに???ww
それで仕事を失ったり、人命が脅かされる場合は
もちろん空気を読む能力は必要ですが

そして、その空気を読めない人はその後どうなる?
皆に嫌われて孤立する?
いえ、それはありません。

むしろ皆はうっすらその人を恐れる(と私は分析していますが違いますかね?)
ので、うっすら避けつつもある意味魅力を感じてしまう。

実は夕べ、たまたまドラマを見ました。
斉藤さん2というやつ。一度も見たことがなかったのですが、
主人公が観月ありささんなんですが、全然わからなくて(^_^;)びっくりしてしまい、
そのまま見てしまったのですが

ママ友の話で私には無縁なドラマ・・・と思いきや
強者に成るべく、自分を貫く斎藤さんのストーリーでした。
もちろんドラマなのでオーバーですし、
PTAという設定から自分の環境にスライドして考えるのは
ちょっとやりにくいかもしれませんが。

でも、ドラマになり、2も始まる、ということは
人気ドラマなわけで、主人公がそういう性格だということは、
皆の憧れに成り得る人物像だということです。

あんな人いない、と知りつつも
羨ましい、と思う要素がありました。

心理学のトラウマ的にはw
私は多分空気の読めない子供で
若干クラスから浮いていました。
でもいじめに合うわけでもなく
多分少し怖い存在だったのだと思います。
というのも、集団でいるときは私を下に見るような子たちが
私と二人になるといつも私を怖がっている様子があったからです。
子どもにもそれがわかりました。

何がきっかけだったか、場の空気を読むことを覚え
そうしてみると、集団の中にもすっかりなじめ、
クラスのヒエラルキーwの高い友達と
どんどん仲良くなって遊ぶようになれたのです。

ああ、こうすれば誰とでも仲良くなれるんだなあ、と。

まあ、これは今にして思えば、ですし
こんな分析しても何の意味もないと思ってはいますが。

それをずっと続けていたのかもしれない。

でもそれでも、職場の人間関係でつまづくことは多々ありました。
それは、空気を読んでいるつもりでも、
読めていなかった証拠。

そこで、皆になじめるように常に努力・・・

ああ、ここ!間違い!!!

会社では会社の利益の追求のためにはいろんな努力が必要ですが
それ以外のところで、変な努力は不要でした。

私は私でいればいい。
営業しているんじゃないんだから。

しかも私は一人で立てる子だった。
だからこそ、それを(本人は意識していないと思いますが)貫いている人がうらやましい。

出来上がったグループに私が入ることで、
空気が変わってもいいじゃない!
その方が楽しいかもしれない。

なんでそう思えなかったんだろう。

出来上がったグループに、空気を乱すような
新しい人が入る違和感とざわつき。
それは、その人が悪いのではなく、
自分の中のコンプレックスが騒いでいる証拠。

これに気づいた今朝
「見つけた!!!!」と思いうれしくなりました。

最近、強者に成るための具体的な課題を見つけると
うれしくてなりません。
それを人は悩むのだし、私もそうでしたが、

その部分こそに、宝が潜んでいるんです。
(と、心屋さんのブログにも前に書いてありましたw)

お宝発見!!w

大学時代、そういうタイプの人がクラスにいました。
皆が制作に集中する中、
一人で音楽を聞きつつ制作、音が漏れていて不快で
制作に身が入らない。

でも、誰ーーーーーーーも注意しないんです。
もちろん、私も出来ませんでした。
うっかり音漏れしてしまいました、というような
優しいにこやかなフレンドリーな人ではなく
言いたいことをズバズバいうような
昔で言えばクラスの不良のような?w雰囲気の人で。
生徒でもない人を教室に連れてきたりねw

で、
先生がいらして音漏れを注意してくださったとき彼女は

ああーーー!!すいません!!!
と。
まったく気づいていなかっただけなんです。

私が苦手で怖い、と思っていたその人は
実は私の絵も気に入ってくださっていたようで
最後にはなんだか声をかけてくれたりして

今から思えば、いい友達になれたはず・・・
怖い、けれど魅力的。
いろんな話ができたはず。

貴重な出会いをつぶしていたんだなあ・・・。

ああいう人は苦手、怖い、空気読めない、場を壊す

で終わってきた今まで。
その裏には
実はそうありたかった自分。

(そうありたくない人ももちろんいますよ。人それぞれです)

そうありたかったのは、その方が自分には楽だからです。


朝っぱらからいろいろ考えて長くなりました(^_^;)
でも私には大きな気づき。
頭を整理するのに小径の散歩が必要でした。

さあ今日はこれから哲学書をカフェで読み、
そのあとジム!
皆さまもよい連休をお過ごしくださいませ。

いかがでしたでしょうか。
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朝っぱらからこんなことを考えている私にw
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