ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

無駄のない人生

ロゴスの小径へようこそ。

今日も無駄のない一日を過ごされましたか?
それともうっかりダラダラと過ごしました?
すべきことはできなかった、でも楽しい一日だった、ですか?
明日こそはもっと有意義に過ごしたいですか?

目標に向かってまっすぐ無駄無く生きると
目的に到達する。

そんな19世紀の哲学を
まだ引きずっている人も多いですが、特に昭和世代はw

それは幻想です。
まっすぐ最短距離を無駄無く過ごすことで
より善い明日が待っていて、人類は進歩し続ける、という
私の心の底にもしっかり根付いてなかなか消えない幻想は

産業革命の名残りです。
効率や機械化を推進してきて、それを善しとした世の中。
しかし人間や人生は機械ではなく、
やった分だけ成果が得られるというものではありません。

それは間違いだと気づき

スローライフが流行したり
あくせく働くだけが人生ではないという提唱が
なされてきたわけですが。

無駄無く、合理的に
という呪縛は私を含めて、いまだに浸透していますね。
それで報われるのならまだしも、
繰り返しますが
無駄無く合理的に生きたからその分得られる、ということは
ないのです。

今日は無駄に生きてしまった、と思っても
その日の価値をいったい誰が決めると言うのでしょう?

何もしない一日で、自分を責めてしまうなら
以前も書きましたが、何かしら違うチャンネルをもって
実行すればいいのです。

今日は仕事がはかどらなかったけれど、友達と楽しい時間を過ごした
今日は誰ともあわなかったけれど、家を大掃除できた

などなど。

でも本来、何もしない一日でさえ
あなたの人生の中のたった一日。
そして、何もしなかったという苦痛が大きいなら
改善した方がいいかもしれませんが

幸せに過ごせたならそれは充実した一日なんです。

人生は目的到達のためにあるのではないので
むしろ無駄無く過ごす一日、とは
今日一日幸せに過ごせたかどうか にかかわる気がします。

まあ、どう過ごしたにしても
自分が無駄だと思ったら無駄な一日になるわけで

誰かの決めた基準に照らして
無駄かどうかを決めるものではないということですね。

ちなみに私自身は、無駄に一日を過ごしたくない、ということへの
強迫観念に近いような気持ちが強いので
やるべきルーティン、しかも
自分が向上した!と思えるような・・・があると自分が安定します。

家事をそれにしてももちろんいいのです。
何が向上心を煽るかは人それぞれです。
私の場合は家事はルーティンにするにはハードルが高すぎます(^_^;)

大学の勉強は特にいいですね。
一日一ページでも哲学の本を読めば
(実際、深く思考しつつ読むと哲学の本は1ページ読むのに
何日もかかったりするものです)
何かを成し得た気持ちになります。

でも、そんなこと無駄、と思う方もいっぱいいると思います。
哲学を学ぶ人が少ないのがその答えの一つですw

自分で自分の一日を
心の底から、欺瞞ではなく
幸せだ、と何かひとつ感じられたら
(アイスがおいしかったーでも!)

それは無駄な日だと自分を責める必要のない日です。

この夏この日このアイスで幸せを感じるあなたは
今日しかいなかったのですから。

というと、何をしても幸せじゃん、ということになりますがw

その通りです。

幸せとは自分が決めるもの。

少なくとも
現代ではとっくに古い思想である、
合理的・目的にまっすぐ進むことの意味
などで自分を追い込むのはナンセンスと言えます。

まあ、私も大学でそれを知ったばかりで
愕然としたのですが(^_^;)

楽しく、生きましょ。
楽しいかどうか、はあなたが決めることなんですから。

いかがでしたでしょうか。
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