ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

死にたい時。

ロゴスの小径へようこそ。

突然ですが死にたい気持ちになるときってないですか?
ないのならいいのです。幸せでうらやましい・・・嫌味なんかではなく
本気で。

ところで、死にたい、なんて気軽に言ってはいけない

生きたいのに生きれない人もいるんだから

と。

よく言われます。私もそう思います。

死にたい、と言ったからって
本気で死にたいと思っているわけではありません。
死にたい、けれど生きるのも辛い。

この哲学の基幹をなす感情は
以前もご紹介しました、
中島義道さんの

生きるのも死ぬのもイヤなきみへ (角川文庫)

生きるのも死ぬのもイヤなきみへ (角川文庫)

に的確に書かれていますが

もっと軽いタッチでは

久保ミツロウさんのアゲイン!に
描かれています。
久保ミツロウさんの漫画はテレビ化もされている漫画家さんなので
ご存知の方も多いと思いますが
おもしろいです。

アゲイン!では、もし自分の人生をやり直せるなら?が
テーマになっています。
ただ生きるだけのつまならい日々。
過去に戻った主人公は、つまらない日々にしないために、
過去を変えます。
つまり、「今」を変えれば「未来」が変わる、ということです。
おおきなテーマはそこですが

最近までしばらく、「死にたい」がテーマになっていました。

食べ物もある、家もある
そこまで辛いことなど何もないかもしれない、
わがままかもしれない、

でも、死にたい、と思ってしまうの。ごめんね!

みたいな感じで。

これに共感したたくさんの生徒たち。

本気で死にたいわけではない、でも

死にたい

と口に出すと、なんと心の軽くなることか!

本気で死にたいわけではない、とはいえ
本気で生きているわけでもなく
死にたいという思いはあるいは嘘ではない。

それを、
「常識ある大人」は、死にたい、なんて言ってはいけない
制するわけです。

まあ、このあたりの是非は各人で違うと思いますので
ご自分の意見が正しい、と思ってください。
答えは無いのですから。

でも確かに
死にたいと
思ってしまう時が

失恋した時
職場の人間関係が辛いとき
明日の試験が本気でやばそうなとき
全然仕事が決まらない時
夢を追うのにふと疲れた時
恥ずかしい思いをしたときも

ある人がいるんです。
ほんとは あるはずです、と書きたいくらいにw

死にたい

その甘美な言葉。

それで心が癒えるなら
言ってはいけないと誰が言えるのでしょう。

そんなわけで
私は最近結構そういう気分です。

ちなみに昨日書いた
自分の変化を確認する
件はなんなくクリアしました。

これは攻撃と戦ったとか耐えた、というよりは
かわした、という感じです。

なんというか、良かった、変わった自分!とか
そういう感動はないもので
むしろその方が自然に感じるものでした。

つまりはそれまでの自分が
構えたり、戦ったり(その両方が恐怖からですね)
してきたのだと認識できました。

ここまで感動がないとは
思ってもみませんでした。
なんでこれができずに何十年も苦しみつつ生きてきたのか・・・。



ではなぜ死にたくなっているのかw

どうやら悩みの根源は
そんな些細なことではなかったようです。

今まで見ないようにしてきた
自分の悩みの深淵。
心理学では覗かない方がいいと言われています。
見てしまっても解決できないから。

しかしとことん真実を追いたくなるのが
哲学者です。
(って私は哲学者ではないですがもちろんw)

その真実、とはもちろん
自分なりの真実なのですが。

気付かなければよかった
人生の、真理。
生きる意味。

そこと向き合ってみると
このままでは未来に後悔することになる。

しかし、ここまで選び取ってきた「今」を
変えるのは実際とても難しいのですが。

死にたくなるほどに。

今、ちょっと苦しかったりしますか?
誰に言わなくてもいいんです。

死にたいかも

ってつぶやいてみると
案外、なんだ、そっか、と思えたりするものです。

歯を食いしばり、
私幸せ!大丈夫!と必死に叫ぶより
あるいは心を救うこともあるのです。

そこからまた改めて
生きよう。生き直そう。
と思える感じ。

いかがでしたでしょうか。
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