ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

生きることは波乗りに似ている

ロゴスの小径へようこそ。

最近、身の回りがばたばたとしています。
転換期、ってやつでしょうか。
大殺界も抜けたようですしw

しかし乗り越えなくてはいけないことは
まだまだあります。

正確には、大殺界に限らずw
ひとつ乗り越えるとまた次、というように
人生そのものが、波乗りをするように、
ひとつずつ波を乗り越えていくだけのものということなのですが。

乗り越えて乗り越えて、どこかに到達するかと思えば

実はしないんですけどねw

乗り越えていくだけが人生です。

ものすごく現実的に生きた人は
どこかに到達する、たとえば
イチローなんかがよく例に挙げられますが。

でも、生きている限り、
到達点はないですよね。到達したと思っても
また次の目標、また次の波。

物語のように成功者の人生を他人事として見ると、
あの人はあの時代がピークだったね、
あんな成功のために人生をかけたね、と言ってしまいがちですが

人生最高の到達点で死を迎えない限り
その人はその栄光のあとでも、生きていくわけで

やはり人生とは波乗りのように、
山を(この山、とは障害という意味だけではなく成功と思われるものでも)
ひとつずつ乗り越えていく、それだけのもの、
としか言えませんね。

とか書くと、
そんなことはない!人生はこういう目標に向かって階段を上るように
進んでいくものだ!と
思われる方もいらっしゃると思います。
もちろんそう思うならそれでいいのです。
むしろそう生きられるなら幸せです。

しかしアリストテレスのニコマコス倫理学によると
幸福とは、いつのことを見てそう呼ぶのかについて
書かれています。

つまり、今人生最高、と思えても
悲惨な死を迎えたら、その人の人生は悲運、とされるのか

死後、子孫が犯罪を犯し悲惨な人生を送れば
やはり悲運、とされるのか

人の幸不幸はいったいどこの段階で評価すればいいのかは
わからないもの

としたら

仏教が言うように、「人生は味わうもの」
ということに帰結します。

今私の目の前には乗り越えるべき波があります。
一つクリアしたのですが、
またひとつもちあがりました。

これを乗り越えればバラ色の人生が待っているかのように
ここさえ越えれば、と今は思っていますが

しかし振り返ればいったいどれだけの
「ここさえ乗り越えれば」を繰り返してきたことでしょう。

つまり、この先にも波はやってくるということです。

だとしたら、ここさえ越えれば、と歯を食いしばり
不幸な期間だと悲しむより
それさえ人生の体験、人生を味わうこと、として
捉える方がいい・・・というより、
それしかないように思います。

もちろん私だって、
ここを乗り越えればもう大丈夫、辛いことはもうない、
と言う方がいいですよ!!!

でも、そうではないのが現実。

人生とはそんな繰り返しの連続なので
これこそが生きると言うことなので

やはり私たちができる唯一のことは
「好きに生きる」に尽きる気がします。
好きに生きる方法はもちろん人それぞれですが。

しかしその前に、
自分の「好きに生きる」とはなんだっけ???

それを見失っている人が多いそうです。
私もそうでしたが。

それは、人生はたゆたうように波をゆるりと乗り越えて
生きる、というお釈迦様の思想、というか
それしかない、という現実を受け入れられずに

自分の夢とはこうある「べき」に向かって
生きてしまっているからかもしれません。
この件についてはまた明日。

どうせ波は来るんです。
だからゆるりといきましょう。
つまりは、今のあなたの目前のその波も
心配しないで。乗り越えられますから。

今日、人生を変える本が届く予定です。
今週で夏休みも終わりなので
これから数冊一気読みです。
またフィードバックしますのでお楽しみに!


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