ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

ぶれない自分を作るには

ロゴスの小径へようこそ。

最近いろいろ悩むことがあり
心が揺れて

ランキング上位のブログなんかを読まさせてもらったりして

でも、キラキラの
うまくいっている世界の方々の
ポジティブでいればいいことアル的な思想は
こういう時はちょっとシンドイな・・と思ったりして。

ところでまずはご報告。
先日書いた、仕事上で心ならずも会わなければいけなくなった方とのミーティングは
私には本当に実りのあるものでした。

滅多に出会えない、知能指数が違う人。
なぜ敬遠されてしまうか、もわかる気がしました・・・が
今の私には出会いに感謝としか思えません。
ものごとの核心、真実をついてしまう人の言動は
なんと心地よいものか。

それを厳しい、と受けるとかどうかは
こちら側の問題です。

自分が変わったのを確かに感じました。
以前なら一人で戦いを挑んでいたと思います。
ドン・キホーテってまさにそれですね。


それが心配で心が落ち込んでいるのかと思っていましたが
どうやら違ったようです。


そこでブログサーフィンをしたのですが
むしろ落ち込んだりww

そうだった、そういう人が行きついてくれるのが
ロゴスの小径でした。

さて
どうして自分はこうも「ぶれる」のか。

私の人生は、会社で仕事に打ち込む、とフリーター、の
繰り返し人生でした。いえ、現在進行形ですw

会社でデザイナーをしては
本当の自分の求めるところではない、と気づいてやめる。

でもやめたところで
それまでの稼ぎほど稼げるものでもありません。

そしてまた仕事を探し
会社でデザイナーをする、の繰り返し。

いつのまにかこのスパイラルに落ち込む。
今もそうです。

誰だって
働かなくてはいけないひとは働いている。
楽しくてしかたない仕事ではなくても。

みんなそれをしているのに
自分はできない。

ぶれる。自分。

制作に熱中すればいいのか。
でもお金はやはり必要です。

そんなもやもやと

でもこの先、仕事は簡単に見つかるのだろうか。
今までは運よく仕事をさせてもらえてきた。
でも、今後、同じように仕事は見つかるのだろうか?

そんな不安、誰にでもありますよね。
若いうちはないか・・(^_^;)

だったら今、我慢して仕事を続けるべきではないか。
いやもっと早くそうすべきだったのではないか
というかもう仕事は見つからないかもしれない。

としたら
今までのスキルを使えない。
これから何をして生きていく?

したくない仕事を、食べていくためにして?

そうじゃない、
もっと夢をもって!自分を信じて!
自分の限界を決めないで!

・・・

ブレブレです。

自分がこうありたいと信じた道は常にぶれる。
自分が何を、本当はしたいのかが
今はわからない。

なぜぶれるんでしょうね?
きっかりと
自分の行く道を進んでいるひともいるのに
なぜこうもぶれてしまうのでしょう。

答えは簡単でした。

ぶれるものを 自分の核に置こうとしていたからです。

常にポジティブ、明るく楽しい自分。
そんなもの存在しませんよ。
それでずっといこう、と決めるから
落ち込む自分をぶれた、と思って責めるわけです。

私の場合は安定した収入、でしょうかw

そんなものを核にするから
ぶれる。

したいことと
お金を得る術のせめぎ合い。
したいこと=お金、になりますよ信じればという
なんちゃってスピも私を揺らします。

昨日の真夜中
翌日も仕事なのに

私は数か月ぶりに制作を開始しました。

デザイナーに復帰してから
ぱったりと描けなくなっていたのです。

デザインの仕事は、そこそこ私の空洞を埋めてしまうので
まあそんな人生でもいっか、と
自分を説得してしまうんです。

もしもっと、本当に全く違う仕事であれば
自分の中で棲み分けができたかもしれません。

自分の周りをみても
制作を続けている人は、まったく違う仕事をしている人です。
(それだけで食べている人は別として)

本来アートの制作がしたかったのに
デザインやイラストの仕事をしている人は
制作を辞めてしまっています。
代償行為として成り立ってしまうからです。

けれど依頼を受けて描くイラストは、
自分をつきつめた絵画とは根本的に違うものです。

代償として成り立っている、と
思っていても実は成り立っていないので
心に澱がたまります。長い時間をかけて。

自己欺瞞

自分を騙す人生を送るのは
最も不幸なことではないでしょうか。

自分の中に潜りこみ
深く手を伸ばして引きずり出すような制作を
真夜中に始めました。

そんなのわかってたよ、
あなたは絵を描くのが幸せなんだよ、と
創作活動をしない人には簡単に言われてしまいますがw

ちなみに創作は
とても苦しいものです。
生み出す苦しさ、とかそういうのもありますが
それにまつわる評価、を気にする自分、や
心理学者が止めるような自分の深淵を覗きこむ行為です。

自分自身です。
それが描けないとしたら
生きている意味がないほどのものです。

だからアーティストは創作ができないと
自らの命を断ったりするわけですが。

あ、話がそれました(^_^;)

楽しいだけ、というものではない。けれど
私の 核 は制作です。

それは子供時代から変わらず

子供時代 火事で焼き出されたその時も
私は絵を描いていました。

いえ、絵さえ描ければそれでよかったのです。

ぶれないものとはそこでした。

稼ごうが稼ぐまいが
誰かが喜んでくれようがくれまいが


誰にでもあるはずです。
ぶれないものが。なんでもいいんです。

あなたがもし
自分がいつもぶれてしまうことに
自分の弱さに心を痛めているなら

それは、単に核にするものが違うからです。

今必死で「ぶれないようにしがみついている」それ。

それがぶれてもいいんですよ。

もっと、どうしようもなく
辛いからやりたくないと思っても
どうしても手放せない、ぶれようがない何か。

必ずあります。

そのぶれない何かを掴んでおけば
人生はそこを中心にまわるので
ゆらゆらしなくなります。

これ、企業も実はそうです。
ぶれない理念を持っている会社は
何が起こってもその理念に照らして行動すればいいだけなので
ぶれないのです。

社長が代替わりして会社がダメになるのは
その理念をぶれずに引き継げないからです。
引き継げないなら引き継がずに、
新社長のぶれない理念を提示すればいいということに
なりますね。

自分の核を、一人の相手の恋愛なんかに置いてはだめですよw
もっともブレブレになりますからw
(広い意味の恋愛、ならいいですがw)


繰り返しますが
ぶれる自分を責めることはありません。
核を、違うものにしてしまっているだけです。

いかがでしたでしょうか。

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