ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

人生のカケラ

ロゴスの小径へようこそ。

やりたいことは今しよう、ということで
朝カフェの習慣が復活してしまいましたw

ああ私には本当にこれが
必要だったんだなあと思います。

生きていくのに絶対に必要なことではないので
我慢すればできなくもないです。

なので、いろんな要因から我慢する。

するとそれに慣れて、それでもいっか、と
思えてしまう。

けれど

朝食をゆっくり一人でカフェで摂る

という私の至福のひとつを無くすことは

人生を生きる意味をひとつ
無くすことです。

そんなオーバーな、と思うかもしれませんが
いえ、生きることとはまさにこの
ひとつひとつの行為なんです。

自分は朝カフェにいかないから、という方も
もちろんwその人によって、それは違うと思います。

たいてい
金銭的や時間的な理由で
我慢したりしますよね。

映画が好きだけど我慢しようとか。
旅行が好きだけど我慢しようとか。

もちろん我慢せざるを得ないこともありますよ、
いますぐ世界一周豪華客船の旅に行きたい、を
我慢してたりねw

でも、本気出せばできなくないこともたくさんありますよね。

例えば今の私。

仕事を再開しました。
とあるプロジェクトのお手伝いなので
会社員になったわけではなく先はまだ未定ですがw

それでも、犬の介護が始まってから
毎日仕事に出るなんて
もう一生できないかもと思っていました。

やり始めるときはすごい勇気でしたよ。
家族の猛反対や
自分自身も責めてしまうし
不安もあったし

でも私は仕事がしたかった。

お金のために、犬の介護に負担にならない程度の仕事を
してはいましたが、
それはお金を稼ぐための行為でしかなく

私にとって
したい仕事を我慢するということは
生きることの一部を我慢するということだったんです。

もちろんいくら好きな仕事でも、仕事をしない方が
生きることの一部だ!の方もいると思います。

(「仕事」の定義にもよりますが)



そうです。
したいことを、老後でななく、
いま、ここでしよう、といっても

自分で抑え込んで我慢した結果
それを忘れている人がいる、いえむしろ
その方が多いと思うのです。

私は子ども時代
絵を描くのを生業にするのを夢にしていました。
けれど、
それでは食べてはゆけない。

そこで描くのを「我慢して」
デザイナー・イラストレーターになったのですが

もう何十年も描くことを我慢したので
自分が描きたかったのかどうかさえ
忘れていました。
それを思い出したのはほんの5年前のことです、

なんという長い時間を私は
生きる意味を捨ててきたことか。

今では描けない生活は考えられません。
描けないなら生きる意味はない・・・というか、

死にたくなった時に描けないなら
どうしたらいいのかわからない、

に近い感じ。

それほどまでのことでも
私は何十年も封印してこれてしまったわけです。

もちろん哲学的に考えれば
根本的に生きる意味など存在しないし、
それで人生が一気に豊かに明るくなるものではありません。

と、わかっていても
生きていくわけですから

自分を少しでも埋めるものを
見つけるしかありません。

そのカケラを広い集めながら
死ぬまでの時間を
歩いてみたいと思います。

いかがでしたでしょうか。

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