ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

地獄に落ちる?

ロゴスの小径へようこそ。

悪いことをしたら地獄に落ちる。

子供時代、親に言われたり本で読んだり。
迷信ですけどねw

でも、迷信だとわかっていても
心の底のどこかで、信じてしまっていませんか?

何か悪いことをしてしまったと感じたときに
うっすらと
子供時代のトラウマだと人には笑えても

心の中で

こんなことをしたら地獄に落ちるかもしれない、と。

火の地獄でかまゆでになるのか
血の池地獄
針の山の地獄。

何百万回も殺されては行き帰り
何百万回も永遠に殺される地獄。

そんな風景をありありと思い出しはしなくても
心の片隅に

もしかしたら・・・という観念が浮かんだり。

あるいは怪しげなスピ系の人に言われたりねw


地獄は、ありません。

いえ、正確には、あるのかもしれません。
でも少なくても、今私たちが本や童話で子供時代に読んだような
あの世界があるわけではありません。
その世界は誰にもわからないのです。

いいえ地獄はある、ですか?

ではあなたはこれも信じているのですね。

地獄の思想(仏教が発祥です)で一番ポピュラーなのは
子どもを産めないで死んだ女が地獄に落ちるというもの。
子どもを死産したり、死なせても
その罪は女がかぶり、地獄へ落ちます。

男に罪はないそうです。
当然ですね、女性の魂の救済を認めなかった
仏教が考えたことなのですから。
(といっても仏教が悪いのではないのです。
そういう時代だったというだけです)

地獄の釜茹での責苦は、
釜 が発明されるまではどうしてたんでしょうね?


そういえばお地蔵さんってなんだかご存知ですか?

子どもを産まない、もしくは死産してしまった女を
救ってくれるのがお地蔵さんですが
もともとは地獄の存在です。

うーん
どうやら神様はそういうことを考えないと思いませんか?

人間が確信的に想定した
地獄の思想。


もちろん、悪を抑制するのに役立つのであれば
それでいいとも言えますが

好きに生きてもどうやら地獄には落ちる必要はなさそうです。

ところで、この話をしたとき、

「え・・・?地獄?血の池とか?そういうのは知らない・・・」と
言われたことがあってびっくりしました!!!
(ごめんなさい、書いちゃった)

びびびびっくりしました・・・
芥川の 蜘蛛の糸 を読まなくても
いろんなテレビや妖怪もののお話
さまざまな絵画なんかで
自然に誰でも知っている、と思っていました・・・

でも、「地獄を知らない」のであれば
なんだかうらやましい気がします。

私は、先代の犬を留守中に亡くしました。
あのとき一緒にいれなかった自分を責め
あるいはそれで地獄にいくのかもね、と
うっすら感じたりもしたものです。

そういうのがいっさいなく
(といってその方が悪い人間だとか犯罪を好きに犯すことも
ありませんしw)

拾った100円を着服したら
もしかしたら悪いことが起きるかな・・・?とか
そういうのを
うっすらとも考えずに済むだなんて。

へんな先入観の植え付けられていない人生って
どんななんでしょうね。
こんな風に、地獄はない
(地獄の思想が作られる経過も
調べればわかりますよ。おすすめは梅原猛さんの『地獄の思想』)
とわかっていても

やはり何かしら悪いことをすると
どこか悪いところに死後いかないといけないような気が
うっすらしてしまっていますから
子供時代の教育って恐ろしいものです。


友達が、おばあ様を亡くされました。
その数か月後、神社での結婚式が決まっていました。
本来喪中で神社にはお参りすらいけません。
その相談を私にしてくれたときに

穢れの思想ができた経緯をお話しました。
本来、死の穢れから神社参りをしてはいけない、なんてルール
神社にはありませんでした。
ごくごく近年の思想です。

そんなのを意味なく守って
禁を犯したら地獄に落ちる、バチがあたる、とか
思って生きてるんですねえ、人って。

もちろんバチはあたりますよ、そう信じている人にだけ。

友人は神社でお式をあげました。
おばあ様も喜んでくださったのではないでしょうか。

意味のない(時には悪意ある)先入観に侵されて生きるなんて
バカみたいです。


あなたが心の底で抱えている、
罪だと思っているそれ。

大丈夫、地獄はありません。

仏教徒にはあるかもしれませんが、
それも近年の思想なので、宗派によって違います。

そういえば、よく
「昔から言われていることが正しい」とか
言う人がいますが、

その「昔」っていつですかね?

ちょっと歴史を調べれば
学者たちが長年をかけて研究してきた結果が
出てきますよ。
それでもわからないことはたくさんありますが
わかっていることもたくさんあります。

そういうのを調べてみると、
案外もっと昔はそうではなかったのに、
明治時代あたりに決まった、というのがとても多いです。

例えば神社の一の宮とか、どこからお参りすべきか、とかねw
明治時代ですよ決まったの。
しかも国家のもくろみが根底にあったわけで。

そういうのを調べていくと、
それでもなお、なぜか紐解けない部分も
もちろん残ります。

そこになにか
世界の始まりのヒミツが隠されているような気がして
史学や人類学を学んでしまうのですが。


いかがでしたでしょうか。

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