ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

たったひとつの真実

ロゴスの小径へようこそ。

今日は実家に行きました。
徒歩5分とはいえ、隣町になるので
行くとやはりいろいろなつかしい気持ちになります。

駅の裏
弟と一緒にお参りしたお稲荷さん。
家へと続く街路樹の道。
今は民家のここはアイスクリーム屋さんだった、その昔は炭を売っていたとか。
実家の隣にはお兄さん二人とお姉さん一人の一家が済んでいて
私は彼らに年の離れた妹みたいに可愛がられていたんだっけ。
裏手には画家が住んでいてお絵かき教室に通いたかったのに
通わせてもらえなかった思い出・・・ピアノはいやだったなあw
その画家の方がペンキ屋さんになっていたのを知ったのは去年のことで
軽くショックだったりしてw

普段は思い出しもしないたくさんの思い出たち。
将来やりたかったことや
叶えたかった夢は
何ひとつ叶っていません。
変わってしまった夢もありますしね。

では私のここまでの人生は無駄だったのでしょうか。

あのまま目標にまっすぐ向かう
無駄のない人生を過ごせばよかったのでしょうか。


・・・実は正解はありません。

過去は心の奥底で
キラキラと光り
あのころに戻れたら思わずにはいられませんが

あの頃も
今も
実際は大差ないものです。

私たちは今にしか生きられない。
過去も未来も全て
考えても虚しいだけのものです。
いえ、いい思い出をにっこりと思い出すのはステキですが

それはたまにそうしたいだけであって
あのころはよかったなあと思いながら生きたいわけではないですよね。

そして思い出や記憶ほどあいまいなものは
ありません。

ローンをこつこつと返すように
未来に計画通り向かうのも実際は不可能です。

成功した人の半世紀なんかを読むと
必ず、まるでそうなることが決まっていたかのような
偶然が潜んでいますよね。
そのありえないような偶然が今の自分を作っている、と。

そんな偶然を計算して未来を見通すことはできません。

そもそも
この世のものは全てフェイクであるとも言えます。
株や貴金属の売買の原理をよくよく考えてみると
本当に怖くないですか?

私たちはなんてあいまいで不確かなものの上に
くらしているのだろう・・・

世の中の全ては思い込みで成り立ち
指針となるような真実は
何一つ存在しないのです。

そういえばスーパーに行くと、
クリスマスケーキの予約が始まっていました。
なんだか笑いそうになりました。
世の中はなんて馬鹿みたいなんだろう。
まるで毎年クリスマスケーキを予約するためだけに
生きているかのように見えて。
そんな風習いったい誰が考えたんでしょうね。
でもあと100年もしたら、古くからの日本の大事な風習、とか
言い出して風習に習わない若者に眉をひそめるんでしょうねww

そんなまがいものの世界の中で
たったひとつの真実は
あなたが
今、

真実だ、と決めたそれ。
それだけが真実です。

他人からみたらフェイクでもまったく関係ありません。

今恋をしていてそれが真実なら
例えば知らないだけで本当は
相手の人には奥さんがいたとしても

あなたにとっては真実です。

あなたが今日感じた
その幸せ。

それが未来にどう繋がろうと
繋がらなかろうと

そんなことも関係なく

あなたにとっては真実です。

この世は全てフェイクではないという保証は何もない。
けれど
たったひとつ信頼できるもの。

デカルトは自分の存在をも疑っているこの自分こそ
たったひとつの真実としました。

それと同じように
他人にも、
過去や未来の自分にさえも
何も言わせない、今のこの自分が感じるこの幸せこそ
たったひとつの真実なんですよね。

うーん・・・うまく伝えられない。
だからどうしろってことでもないですし
だからどうすれば幸せになれます、というよくあるブログみたいな
法則が私には思いつきません。

でもこれ、手放してはいけないような気がするのです。


海外の成功哲学の本では
暗い大海原で迷った時に
たった一つの指針となるのが
コンパスだ、といいます。
そのコンパスが指すのが自分の目標(夢)である、と。

私もそんな気持ちでずっと生きてきました。

もちろん短期的な目標を設定してそれに向かうことは
大切なことです。
例えば、次の試験に受かるようにがんばろう、とか。
目標設定に意味がないと言っているのではありません。

ただそんな中でも

迷った時のたったひとつの真実は

誰の定義にも則らない、

いまの自分が幸せか

ということだけだと思うのです。



今日は思考してみました。
ちなみに哲学は本を読んだり誰かの話を聞くだけでは
哲学になりえません。

自分なりに思考することこそが
哲学です。

ただ、全ての事を自分だけで考えると人生が終わってしまうのでw
先人たちの思考を土台にさせてもらうわけです。

まあでもそれもそれが偉いと言うわけではありませんw

哲学は、哲学してしまう体質であるだけだ、と
私の先生はおっしゃいました。
今はその意味がよくわかります。

繰り返しますが

自分の真実を手放さなければ
自分がぶれた時も
迷う時も
大丈夫。

ポイントは、他人や世間や自分の過去や未来の評価とは無関係に
いまの自分が決めた
いまの幸せ

というあたりです。

考えてみてくださいね。


いかがでしたでしょうか。
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