ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

浄(きよ)める理由。

ロゴスの小径へようこそ。

滝に打たれて
身体を浄めたり
自分を厳しく律したり。

そうして私たちは神仏に祈るわけですが
(実際祈らなくても、そういう観念はありますよね)

これ、なぜでしょうね。

それは私たちにとって
神は呼び込むもの、つまり

仏教では
仏になるのが究極の目標なわけです。

だから修行したり
即身仏になったりするわけですが。

これが西洋の神様だと違います。
祈ることで、
願いを叶えてくれるもの。

つまり、自分の身の中に取り入れるものではなく
全く別の次元の全く別の存在、ということになります。

もちろん仏教でも
祈れば願いが叶う的な思想も
生まれていくわけですが。

という宗教学を学んだのですが

なるほどーーと思いました。

確かに私たちはどこか、
神と一体になるようなものを目指しているような
漠然とですがそんな感覚ないですか?

自然に触れて感動するとき
自然と一体になったような
そしてそこに神を感じるような。

そして反対に
自分が穢れていると悪いことが起こるような
悪いことが起きるのは自分が穢れているせいだ、というような
得も言われぬ感覚もありますよね。

西洋ではそれはあくまでも悪魔の(いや、ダジャレじゃなく・・w)仕業で
自分がそうさせたものではありません。
だから悪魔祓いをすればいいわけです。

私たちは神は自分の中にいるので
自分を浄めなくては、と思ってしまうんですね。

神社にいくと手を洗いますもんねえ。
キリスト教徒の友人は手を洗いませんでした。
(知識がないのではなく)
もちろんそれは悪いことというわけではなく

何を信じているかによるんですけれどね。

そういうことも知らずに
ただ生きてきたんだなあ自分、と
何かを学ぶたびに思い知らされます。
知ったからって幸せになるわけでもないですがw

今日で日本人の霊魂観はいったんおしまい。
明日からは精神科医と哲学者があばく
命の問題についてを学びます。楽しみです。
またシェアしますね!

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落ち込みそうなときにいつも私を救ってくれます。


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