ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「心と体はつながっている」?

ロゴスの小径へようこそ。

最近、心と体はつながっています

なんてよく聞くフレーズですし、
私も導入していますが、

きちんと調べると深い意味があります。
そういうのも知らずに
キラキラスピリチュアル語として使う人も
多そうですがw

ところで、
わざわざ心と体はつながっている、と言うのは

実は私たちが
心、精神の方が体よりも上のものであると
信じているからです。

身体はそもそも心、精神の言うことを聞いて
存在するだけ。

この思想、哲学が生まれたソクラテスの時代から
19世紀半ばまで
2000年以上も信じられてきました。

ニーチェ
ハイデガー、メルロ・ポンティあたりで
それは否定されています。

精神、心こそが素晴らしいもの、
神の作りたもうたもの
生まれる前からどこか他の世界にあり
どこかの世界にいくもの

これ、まだ信じている人いますよねえw
しかも
心と体はつながっています、とか言いながらw

なぜいまだそれを信じているのか?

明治時代、日本にやっと哲学が入ってきました。
そこで学んだのはドイツではとっくに過去のものとなっていた
哲学(いえ、哲学だけではなく他にもいろいろですが。
古い武器とかねw)でした。

古い知識しかなく、自国で職を失ったドイツ人教師たちは
こぞって未開の地、日本に来て
個人授業を施していたそうです。

まあそんな古い知識を
遅まきながら信じた私たちは
いまだにそれを習っているんですよ、相変わらず!!!w

で、いまの哲学(ちなみに哲学、といっても医学や心理学、経済、政治、
全てのものに繋がっています)はどうなっているかというと

心と体はつながっている

というか!

心とはどうも、体で生成されているらしい
というのが今の説です。

このあたり、もっと学んだら書きますが

流行の、
心と体はつながっています、っていう例のアレは
単に体が疲れれば心も疲れるんだよ、とか
そんなうわべの話ではなかったんですねえ。

ちなみに
心が体を支配している、という思想から
つまりデカルトのまま抜け出れない日本人は
精神論とか説くわけです。
政治なんかもそうですよね、心が、精神が、と言うと
なんとなくそうかな〜となんとなくそれで流れていく。

海外みたいにきっちりした数値の提示がなくても
なんとなくそんな感じ、で流れているわけです。

皆がたいへんだからなんとなく復興資金の税金を出そう、
日本を皆で助けよう!絆だ!となんとなくそんな雰囲気で。
でも実際その使い道は、ちゃんと被災地・被災者のために
使われていなかった、という
やはりそうか、という事実はニュースにもなりましたよね。

言い訳としては、被災地の復興その他に使う、としていたので、
ということでした。「その他」が入っていたので
なんとなくそれでいいでしょ、ってことでした。

そうそう、
日本では酩酊状態だと罪が軽くなったりしますよね
あれも同じ原理だそうです。
精神が、心が病んでいる、もしくは意識がないのだから
しかたない、とするもの。

怖くないですか?
古い知識に縛られた日本。

そういう理由も知らずに
心と体はつながっています、
なんて言ってしまっていません?(恥ずかしいーー!)

まあでも知っているからといって
人生が幸せになるとか成功するとか言うわけでもありませんw

ただ、本当は無知なのに、知ったふりをしている
ソクラテス言うところの)人を
ほくそ笑むことができる、という程度でしょうかw

それと、
そういう知識がある人かどうかで
スピリチュアルでお金を稼ぐ人が
本物かどうかの見分けをつけるのが大事、と
大学で習いました。

そんな理論は知らない、けれど感覚でわかる、ですかw

それこそ
「そんな感じ」という心や精神が体より上、と
実際している証拠ですよねw

今日も辛口になってしまいました・・(^_^;)

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