ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

我思う、故に我あり。

ロゴスの小径へようこそ。

あちこち好きなところから食いかじった哲学ですが、
いま古代から現代までの流れをざっくり学んでいます。
先にこれを学んだ方が効率いい、と思いますが

効率よく学ぶまでにはやはり知識が必要でw

デカルトプラトンの流れ、とか読んでわかるのは
やはり食いかじってきたからだなあ、と。
難しくて太刀打ちできずに悔しかった去年の夏の大学での講義。
いまなら楽しめるだろうなあ・・・


さて


あなたは本当にそこに存在していますか?

えーーー!してるに決まってる?

そう言いきれますか?
もしかしたら夢の中かも知れない。

夢の中で、ああこれは夢だとわかるときもありますが
ほとんどの場合夢だとわからないですよね。
つまり夢の中ではそここそが現実なわけです。

目が覚めている今の私たちのこれが現実だ、と
どうして言えるのでしょう?

夢の世界の方が現実かも知れない。
その証明はできないわけです。

と、こんな風に
この世のあやふやなもの

・・・自分がいるのはあやふやではない、と思う方は多分哲学とか理論的に、とかが
苦手な方です。いえ、悪いのではないです。

確かに自分はいる!と思えるかどうかではなく、
問題にしているのはその証明で理論なのですが、
わかったからといってたいしていいこともありませんw・・・


あやふやなものをかたっぱしから消していきます。
するとどうなるのか

私たちが、存在していることも夢かもしれない。
ましてや
私たちが自分で考えて選択している、と思っているもろもろは
実は見聞(経験)によってできあがったものでしかない。

本当に確かなもの、と言い切れるものなんて
何一つないわけです。

既出の、自分は存在している!と確信している方であっても

もしかしたら、悪い神様がいて、私たちを欺いている可能性がない、と
言い切れますか?

この世に神はいる、とはいえませんが
いない、ともいえませんよね。

神でなくて宇宙人でもなんでもいいのですが
私たちより優れた存在。
それが、私たち
いえ、

この世であなたたったひとりに、この世の中というものがある、と
夢を見せているかもしれないのです。

バカみたいですよね。
でもそうでない、と現代科学では言い切れないのです。
証明できないのです。

ここでデカルト

自分が存在していないかもしれない、と疑う自分

これこそが
唯一 自分 と呼べるものである

と述べています。

これが 「コギト・エルゴ・スム」Cogito ergo sum

呪文みたいですか?
でもあなたも知っています。

これこそが、よく耳にする
「我思う、故に我あり」
です。

人間は考えることができるので、だから自分がある、
なんて生易しい論理じゃないですよw
(ちなみに「人間は考える葦である」も生易しくないですw)

それだけがこの世でたった一つの真実。

自分を疑っている自分、も悪い神様が
騙しているんじゃない?と思っても、

悪い神様が騙しているのかも、と
疑う自分がいる限り、やはりそれは自分の存在を現します。


ところで、ここで「自分」と言ってしまうので
理解が甘かったことに今日気づきました。
以前もこれは記事にしていたので、皆さんも今日アップデートしてくださいねw

自分が存在している証明、

ではなく

「これ」が 自分の存在を疑っている間だけは、
存在が証明されている、という意味でした。

わかります?

つまり、
自分を疑う自分がいるから存在している!だいじょうぶだあ〜〜

ではないのですw

疑っている、この瞬間だけが
自分の存在を証明しているのです。

そして、便宜上「自分」と呼んでいますが
原文では

I ではなく it だそうです。
(といってもそれに相当するラテン語ですが(^_^;))

つまり
「自分」ってなんだ?というのは証明されていないのですから

it

なわけです。

この、なんだかわからないけど
考えてしまっている、疑ってしまっている「これ」

この感覚、というか思考というか、
これだけが

世の中で唯一あなたが確かにある、と
証明できるものなのです。

「それが疑う間は、それが存在する」

が我思う、故に我あり、です。明治時代の日本語訳がおかしいので
なかなか理解できないんですよね、哲学って。



だから何?ってことですがw
Cogito ergo sumを朝日に向かって唱えると幸せに・・・
なることはありません。ゴメンなさいww

この世は虚しい。
自分の存在さえ誰にも証明できない。

生きている証明もない。
死後の証明もない。

自分の存在さえ証明されていないのに、
この世は、自分が思ったことが実現して
幸せになります!というのが
どうも信じられないのは当たり前ですねw

しかしこうして
少しでも真実について思考することこそが
幸せ、
少しでも世界について知ることが
生きて死ぬ意味、と最近思えています。

それに最近やっと気づいたので
なにか心に空洞を感じる人は
哲学があなたを救ってくれるかもしれません。
そう思って始めたこのブログですが

本当に日々、自分が少しずつ救われていきます。
空洞は
知識で埋まっていく。

ちなみに、「知識だけあっても実用できないなら意味がない」
とか書かれているブログを最近拝読しましたが

そういう人にはわからないだろうなあ・・・

何の役にもたたない、この知識。
しかしそれを知っていることだけが自分の救いになったりする
この感覚。


これを知ることが少しでもあなたの喜びになれば
本当にうれしいです。


いかがでたでしょうか。
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