ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「精神」が病んでいる?

ロゴスの小径へようこそ。

精神ってなんでしょうか。
人間が人間たるのは
この身体という入れ物ではなく、精神があるから?
精神的に・・・とか
愛社精神、とか言いますが
しかし実は 精神 という観念はちょっと古い観念です。

結果から言うと精神とは何かはわかっていません。

例えば精神が病んだ時、
脳の病気のように、その部分を治療したら治るかというと
そうではないそうです。
脳は「身体の部位」ですから、どうやら身体ではないようです。

精神こそが人を人間たらしめているとしたら

では、病んだ人は人間ではないのでしょうか?
そんなことはないですよね。

となると精神とは何か。

これは精神病院の先生の著書からですが、
精神が病む、ということは実際ないのではないかと言うことです。
なんらかの状態にあるのかもしれませんが
患者さんたちは決まって、自分たちは病気ではない、と
言うそうです。
そして原因を探ってくれ、と。


ここで私が言いたいのは

私たちは本当の事なんて
本当になにひとつわかっていないんだなということ。

「精神病院」に入れられる、精神を病んだ人。

というぼんやりとした定義。それ、どこでどう習ったんでしょうね?

ちなみにほんの数十年前まで、
てんかん」は四大精神病のひとつだったそうです。
今では治療可能な病気ですよね。小児科になるそうです。

私たちが精神、と漠然と決めているこれ。
これの定義は実はとてもあいまいなもの。


自分がそうだ、と思い込んでいるそれは
実はまだ判明していないどころか、
とっくの昔に間違いだと判明しているものであるかもしれないのです。



偉そうに書いていますがw

私も今朝読んで知ったばかり。

「精神」ってなんだろう?

そもそも
○○精神、というときは
誰かに植え付けられた可能性が高いような気がします。
愛国精神、とかね。

例えば私は日本を愛していて
でも自分が実は日本人ではなかったとして

それを知ったとたん、母国への愛国の気持ちは生まれるかもしれませんが
知らないなら知らないままです。
つまり、そんな「精神」は植え付けられたものです。

植え付けられた愛国精神で国は何をしたいのか・・・は
想像つきますよね。

日本でも昔・・・と思います?

オリンピックやスポーツの試合で
ニッポンを応援したりしていません?
いや、当たり前のようではありますが

怖いのは
ナショナリズムを国によってうまーく育てられているという事実を
知らないこと自体なんですけれどね。

知っている人も大勢います。
でも敢えていちいちそれを言わないし
言っても「うるさい」と思われるだけですし
そもそも言う相手を選んでいるのだと思います。

私は知らずに生きてきました。
しかも「知っているつもり」で。

テレビで見たことや 雑誌で読んだようなことは
操作された情報でしかありません。

オリンピックはそもそも景気回復のために開催したいわけで
開催が決定してから株価のニュースがすぐに持ちきりに。
その勢いで一気に消費税アップのシナリオ通りで
そのあたりまでは誰もが知っている、と思いきや

案外そんなこともなく
ただただ開催を喜ぶ人たち。

ちなみにそういう本当の理由を知っていて、
しかも経済的効果だけが理由ではなく
単に楽しみだと喜んでいる人もたくさんいると思います。

でも何も知らずに
オリンピック!うわ〜!と喜ぶ人との差って
ものすごいですよね・・・

もちろんどちらが偉いわけでも
幸せの度合いが違うわけでもありません・・・というか
ただただうれしい人の方が幸せかもしれません。

TOKYO

と読み上げられた瞬間に
ああ消費税アップが決定したなあと考えていた私は

決定したね!と喜ぶ人の方が幸せだよなあと思っていましたし。

ニッポン、ニッポン、とコールするあれは
「非常時」に国民の心を鼓舞するように仕組まれているしくみ。
その怖さも知らずにいる人の方がやはり幸せです。
嫌味とかではなく。

それでも私は知っている側にいたいんですよね・・・。

しかもこういうことを言うと
何をうがった見方をしてるの、とか
あまのじゃくだとか言われてしまいますしw

私という小さな個人の意見じゃないですよまさかw
単なる事実です。知っている人は皆知っています。

その事実を知ったときの私の恥ずかしさといったら!!

マトリックス」の映画を見た時、
なんでわざわざ
苦しいのに事実を知ろうとしてしまうんだろう、
事実を見ないで夢の中で暮らしている大勢の人に疎まれながら・・と
思ったのですが

単にそうせずにはいられない、ということなんですね・・・。

何も知らないで「幸せ」より
知っている人に苦笑されたくない

という感じに近いかもしれません。

しかし、何もかも知りながら
騙されているふりで、何も知らないふりで幸せに暮らしている人もまた
大勢います。私もそこが目標なのですが。


という今もどこかで苦笑されていることもわかっています。
私はまだまだ勉強途中。まだ一年も学んでいないのですから。


それにしても哲学の本は
数ページ読んだだけでいろいろなことを思考させてくれますね。
(一日でどんどん読み進むことはできないのです。思考しつつ読むので・・・)

そういえなこのロゴスの小道も
先日一周年を迎えました。
始めは勉強のリマインドとして

そしてそのうち
誰かに伝えたくて。

そしてだんだんノルマのように感じていたこともあります。


今は、本当に小径を散歩しつつ思考するような場となっています。
仕事を再開し、多忙になったことがむしろ
ここを私の安息の場にしてくれています。

一日に1時間の一人きりの散歩。
一緒に歩いてくれている皆さん、本当にありがとうございます。(^_^)



いかがでしたでしょうか。

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