ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

人が子供に還る時

ロゴスの小径へようこそ。

痴呆などで、人が自分を見失い
まるで子供に還った様になるのはよく知られるところですが

施設(病院)などで見ていると
男性はたいてい、横暴で偉そうになるそうです。
頑固で横暴。友達も作らない。
(自分でそうなっているという意識はないようで、わざと
そうしているわけではありません)

それに対して女性は
おばあちゃんたちは集まって
きゃっきゃきゃっきゃとおしゃべりしているそうです。

話を聞いてみると
内容はかみ合っていないみたいですが、
それでも楽しそう。

人は、ボケると
たいていの人が自分の楽しかった年齢に戻るんですって。
精神科医の著書によると)

で、男性はたいてい
35前後に戻ってるんですって。
課長クラス、バリバリ仕事して部下にあれこれ指示して
家庭も顧みないようなノリノリの時代だそうです。
(とはいえ、現代の35歳がそれに相当するかはわかりませんが・・・)

だから横暴になりがちなんですって。

で、女性はたいてい
結婚前の娘時代に戻るんですって。
だから皆でおしゃべり。でも案外人の話なんか聞いてないのw
それが一番幸せな時代・・・ってわかります・・・ほんと。

ところでこの「話す」という行為、とても大事だそうです。
自分の考えをまとめて、それを出すのがいいのかと思いきや
話すことと考えることは連動しているそうです。

痴呆で入院したおばあちゃんたちが
おしゃべりをしているうちに良くなるケースもあるそうで。


赤ちゃんも、言葉の意味もわからなくても
なんだかしゃべっていますよね。
あれが大事なんだそうです。

ある意味ブログも同じ感じかな。
私は推敲もしていないし(^_^;)
おしゃべりするように書いています。


ところで
先ほど親友に
人はどうせ死ぬ。人は好きに生きるために生まれてきた
だから好きに生きる方がいい
と言う話をしたら理解してもらえませんでした(涙)

そして気づいたことは

私は○○はしないんだ

というと、彼女は「それもいいよ」と

私は○○をするんだ

といってみるとまた
「それもいいんじゃない」

といちいち
許可をくれるのです。

(ちなみに具体的には今日は夕飯を作りたくないし
片づけも嫌だからピザをとった、と
いうことなのですがw)

「いや、許可はいらない。
私の人生だから私が決めるんだよ。
人になんと言われても全然かまわない。」
(だってピザをとるくらいのことですし・・・w)

と言うと、

彼女は家族のために今日は体調が悪いけれど
これから食事の後片付けをするんだそうです。

いや、いいんです。それが好きなら、楽しいなら
やればいいだけの話。

でも本当は嫌だそうで・・・

だったら一日くらいやらなければいいのにと思うのですが。
明日やるか、子どもも大きいので手伝ってもらうとか。
ピザをとるとかw


でも彼女はきっと「許可」がないと
それができないんだろうなあ・・・
多分家族にそれを話せば許可をくれるだろけれど
(毎日じゃないんですし)
でも、許可は自分で自分に出すしかないんでしょうね。
具合が悪くて作れないほどではない、だから
許可できない。

だから彼女は聞いてもいないのに
私に許可をくれるのだと思います。

ほんとは自分が許可して欲しいからなんですよね・・・。

許可できないこともいっぱいあります。
今日は会社にいかない!を毎日はできないしw
毎日ピザもとれないw

でも、どうしてもしたくない月に一度もないようなそんな日。

そこを歯を食いしばるほど食事の後片付けは大事なのか・・・を
決めるのは

自分自身。

という話をしたら、酔っていると思われてしまいました!!!(笑)
哲学話は本当に通じる人が希少です・・・(>_<)


でもそんな
かみ合わないおしゃべりも
外からみれば楽しそうなのかもしれませんがw

いつか子供に還るなら
何歳くらいに戻っているのでしょうね?
私は周りには迷惑ですが、きっとすごくわがままな
子供時代に戻っているような気がします。
娘時代、というより。幼稚園くらいのw


いかがでしたでしょうか。

哲学話ができないのでだんだん友達が減っている気がする昨今・・・(^_^;)

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