ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「幸せ」の定義

ロゴスの小径へようこそ。

「幸せ」ってそもそも、何を指すのでしょうか。


人生はコントラスト。
不幸がなくては幸福もない。

そんなの詭弁だ、不幸な自分を慰めるための。

お金持ちはお金持ちで
貧乏人がいくら背伸びしても
その差は歴然なように

幸福度も人と比べたらあきらかに違う。

先日、オリンピック会場を見下ろせる都内の億ション
即日完売、購入者の半数が即金払い!というようニュースを見ましたが

ローンを組んで一生を捧げる人(いや、それでも二億のマンション買えないか!w)とは
幸福の度合いは明らかに違う。

お金持ちだからって幸せではない、なんて
持たざる者の嫉妬でしかない。
それはどう言い繕っても
慰めでしかない。


ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと思って生きてきたのですが。


言い古された
「幸せは人と比べるものではない」とか
「幸せは人それぞれ」とか

その言葉の真意は

幸せ、とは自分の中でだけ感じるもの「でしかない」
つまり

自分の人生の中のコントラストでしかないということ。

例えば
芸能界で大成功しているような人が
時に自殺してしまったりね。

それは私たちがいくら幸せなはず、と思っても
幸せかどうかはその人でないと
わかり得ない、いや、わかり得ない、というか

自分の幸せとは、自分の幸せを自分が感じるしかない。
それ=幸せの定義、本質だからです。

アリストテレスの時代から
そうわかっていたのに
なぜ忘れてしまうんでしょうねえ?

お金の額みたいに
数値で比較できないのが幸せ。

それは自分の中のコントラストだから。

つまり、不幸がずーーーーーーーーーーっとない人は
幸せもない、わかり得ない
ということだそうです。

天気がもし、ずっと晴れの日しかないなら
晴れの日がうれしかったりしませんよね。
当たり前だから。

幸せな国で毎日幸せに暮らす人がいたら
その人は自分を幸せ、だとは思わない。
それが当たり前、だから。

ちなみに、だからって不幸になれ、という話ではないですよ?

ただ単に、幸せとはそういう仕組みのものだ、という
だけの話です。


不幸の後には必ず幸せがくる

と言いますが、
それも謎のスピリチュアル語ではなくw

真実です。
だって、コントラストだから。
不幸のあとは、ほんの少しのことでも幸せになるわけで。

大凶のおみくじを引いた後に
凶を引いたら、
ちょっと良くなった感じしますよねえw

大吉の後に忠吉を引いたら
ちょっと悪いような感じがしたりねw

それと同じですね。

快晴の週末がこんなにも幸せなのも
洗濯物が乾きにくい仕事の平日が続いたからこそ!(笑)

幸せってたったそれだけのことだったんですねえ。

どうりで探しても見つからないわけです。
掴まえたと思っても、死んでしまうわけです。
青い鳥は。

そういう幸不幸、山谷を
面白がれることこそ、
人生を面白がれるか、という
ことですよね。


ところで、ずいぶん長い間
心にひっかかっていた出来事がありました。
それは後悔のような恨みのような、
思い出すと心が痛むというか軋むような。

今日たまたま、その出来事に関連するカフェにいって
それを思い出したのですが

どーーーーーーーーーーーーーーーーーーでもいいこと、に
変わっていることに気づきましたw

だって
私たちがいつ死んでしまうのかわからない事実
どこから生まれてどこへ行くのかということや

そういうことに比べたら
なんて表面的な悩みだったんだろうと
自分が可愛く思えてしまったりw

それがものすごく不幸に思えていたこともあったのに。

池田晶子さんの著書にさんざんそういうことが
書かれていたのですが、
ああそうか、この感じか・・・と。

自分がいつか必ずたった一人で死んでしまうこと。
どこへ行くのかわからないということ。

このことだけが人類の一番の悩みであり不幸であり

それをごまかしたり見ないふりをしたり
平気なふりをしたりすることだけに
私たちは注力して生きているという事実。

哲学(も、宗教も)
要はここなんですよねえ・・・人間の

生まれ出る悩み

とは。
河童のように、生まれるかどうかを
選べない限りはw (芥川ねw)


いかがでしたでしょうか。

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