ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

人は寂しさを内包している

ロゴスの小径へようこそ。

今日もまたヘーゲルからの思考。

ところで哲学書を読むコツは
その時代の背景と、著者の宗教観などを知って
彼の話をリアルタイムで聞くように
一緒に興奮しつつ読むのがポイントだなあと
ヘーゲルを読んで強く思いました。
実はこの読み方は、池田晶子さんのお勧めでもあったのですが、
できるようになるには、やはり背景を知る必要がありますね。

こんな調子でいつかカントも読めるようになりたいのですが・・・
(難しい!!)

さて
私たちには、自分の自由な目的やしたいこと、欲望などがあります。
それに向かって生きているとも言えますよね。

お金持ちになりたかったり
したい仕事があったり
名誉が欲しかったりね。

あるいは法律に触れるような欲望もあるかもしれませんが。

それを抑えるのは国(世界)の法律だったりします。
その窮屈な法律に私たちはしぶしぶであっても
則って生きています。
誰もいない、車もこない、深夜の赤信号で止まったりね。
よく考えたらバカみたいですよねえ!w
自分で自由に判断した結果ではなく
人生でまったく意味がなくてもそれに則るわけです。
社会とはそういうものですからしかたありません。

さてこの個人の欲望と、
おおきな社会、世界(つまり歴史となる)そのものの行く先は
このように違うように見えます。

もっと高い視点から見れば、
社会のルールがなぜあるのか、などわかるのですが
一般市民には、(まあ赤信号の意味はわかっても)
わからないことがいっぱいあります。
今消費税を上げることで市民は怒りますが
この先そのおかげで助かった、となる(はず・・・ですがw)
そういう先を政治家は見ている(はず・・・ですがw)わけで。

私たちは何もわからず、ただ自分の自由な欲望と
社会のルールに縛られて生きています。


しかしそれが一致することが、私たちにもわかることがあります。
そしてそれが一致したときに、大きな力となります。

例えば
震災で、誰もがボランティアになり寄付をして
それは、個人の欲望(助けたい、なんとかしたい、というような)を
叶えるものでありつつも
被災者の方や、ひいては社会を助けることになりますよね。
これが一致したら大きな力となるわけです。


もっとも大きいのは戦争ですね。
私たちはいとも簡単にナショナリズムを煽られ
国境がないはずの健全で美しいはずのスポーツでも
ニッポンニッポンと応援するわけです。

どこかのアジアの大国で日本を標的に
ナショナリズムを煽るのも

簡単に国家がまとまるからです。
個人個人が日本を憎み
それが国家の目的にもなる。

国家の目的になると、個人もまた
鼓舞されるわけです。

戦争はまさにそういう原理です。
一人一人が本当にいやいやながら動くだけでは
おおきな力には成り得ません。
(敗戦直前はそうかもしれませんが、勝っている時代の
報道を読んだり聞いたりしたことはありますよね)


ヘーゲルの場合は
この先の視点があり、ちょっと違うのですが

キリスト教では、全ては神の意思で動いていることになります)

戦争、と考えるとピンと来ないかもしれませんが
例えば学校で、クラス対抗の何かしらの大会、なんてあると
がぜんクラスがまとまり、盛り上がりますよね。
普段は仲が悪かったりしても
協力しあうことで得られる勝利なら
協力しあったり。

一人ずつの目的が
皆の目的とひとつになる、あの昂揚感。

たった一人でこの世に生まれ
たった一人の感情しか理解し得ず
たった一人の見たものしか実際見ることができず
たった一人で死んでいく

そんなたった一人の私たちが

まるで一体になれたかのような錯覚を覚える快感。
しばし寂しさを紛らわすこともできるでしょう。


人間て寂しいんですね。
一人だから。
わかり得ないから。

戦争がなくならないのは、その暗さを内包しているからでは
ないでしょうか。


いかがでしたでしょうか。


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