ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

ロゴスの小径へようこそ。

今日は幸せについての思考。

幸せは〜歩いてこない♪

って歌がありましたが(昭和な人間ですがなにかw)

幸せは、もたらされるものではないんですよね。
神様を信じている人には
もたらされるものかもしれませんが。

降ってわいたような幸福、って
例えば宝くじが当たる、とか・・・でも

それだって買わないと当たらない。
(もらっても拾ってもいいんですが)

幸せはどうやら
誰かがくれるものではないのは当然としても
もたらされるものでもなく、
自分で取りに行くものでさえなく

自分で作るものなんじゃないか、と
最近思えてきたのです。

そもそも幸せの定義とは
自分の中の気持ちの上下、
幸か不幸かの間で揺れる上下だけの問題です。

・・・というこれがわかってもらえない場合が多いです。
わからない人にはわからないと思います。
それは悪いことではないのですがもちろん。

幸せ、というものがこの世にはあって
それを自分で掴まえるか
誰かがくれるか
「強く願うと幸せが運ばれる」かw

(とか書くとまたスピリチュアルをバカにするな系のメッセージがきますがw
どうかそういう方は、このブログをスルーして
たくさんあるキラキラ言葉がいっぱいのブログへどうぞ

・・・ちなみに正しく定義されたスピリチュアルをバカにしたりはしません。
それは人間には必要なものです。)

そう信じているようです。
もちろん私もそうでした。

でも、幸せは、自分の中にしかない、
他人と比べられない、というのは
気休めや、
そう考えた方がいいよ、ということでもなんでもなくて

本当にその言葉のままなんです。

幸せの数値を出して比べられたらいいのかもしれませんが
それができる日までは
やはり幸せは、自分の中の幸、不幸の差でしかないのです。
(詳しく知りたい方はアリストテレスをお勧めします)

としたら。

幸せって自分で作れるんじゃないか、いえ
作るしかないんじゃないか??

例えば
趣味なんかもそうですよね。

好きだから趣味になっていくわけですが、
だんだん詳しくなってきて、ますます楽しくなっていく。
人生にそれがあるのとないのではどんなに楽しさが違うことか。

学生時代、ものすごいジャイアンツファンでした。
友達たちと球場へ試合を見に行ったり
テレビの中継も息をのんで見守り
楽しかったなあ・・・本当に幸せだった。
キャンプまでついていったくらいですから!!w

でも今の私は全く興味を失ってしまったので
野球を観るという楽しみをひとつ失ってしまっているわけです。

「野球」というものが「幸せ」なわけではないですよね。
でも、それを「幸せ」と定義するかどうかは
その人次第。

つまりやはり、幸せは作る物だと思うのです。

数年前まで私は
砂のような生活をしていました。
毎日が楽しくなかった。幸せに思えるようなものに
次々手を出すけれどすぐに飽きる。

そこで見つけたのが美大にいくことであり、
出会ったのが日本画です。
人生が変わりました。それを持っているだけで
描いていない時間でも幸せな気持ちになれるのです。

友達も増え、知識も増え、
美術館での楽しみは以前の比ではありません。

大学を卒業すると

やはり何か日々に物足りなさを感じ

更に大学へ。それが今の大学です。
出会ったのが哲学。

これは私の人生を本当の意味で変えてくれました。
死ぬまでにこれに出会えたか出会えなかったか
というだけのことだ、と思えるくらいに。

幸せはやはり、作り出すもの、つまり
作れるものだ、と思います。

最近復活させたゲームもそうで
やはり子供時代から好きだっただけあって、
ほんとーーーーーに好きなんでしょうねw

日々戦に明け暮れていますがw
実はプレイ中はステッパーをやっていたり
入浴中にしているので、ゲームのための時間が増えたわけではありません。

日々仕事が忙しいのですが、

なぜか朝起きた時、幸せな気持ち。
うーーんなんだろうこれ?
恋をしたての朝に似ている。
なんだろう、このウキウキ。そうだ、カレシできたんだったー
みたいなww

なんだろうと考えると、
昨日戦に勝ったんだった!と思い出しwww

くだらないですよねーー
非生産的、ですよねえーーー

でもいいんです。
だって「幸せ」と、心が感じているんですから。
原因もわからずに幸せだなあ、と思えるなんてけっこうすごくないですかw

神社参りにいく幸せ
犬と暮らす幸せ
朝カフェで読書の幸せ
仕事をする幸せ

全部自分で作った幸せです。

周りの反対を無視してw
ゲーム再開してよかったなあ〜〜〜
私の人生に全く責任を取ってくれない第三者に反対されて
買わずにいたら、人生の幸せが欠けるところでした。

もちろん長期的でお金が必要な幸せばかりじゃなくてもいいんですよ。

そうだ、今日は冷蔵庫に
おいしいケーキがあったんだった!

連続ドラマを今日もみよう!

でも幸せだし

それが、たまたまケーキがあった、
たまたまおもしろいドラマがテレビをみたらやっていた、
でもいいのですが

もっと積極的に、
自分のために幸せを用意することも可能ですよね。

前もって好きな役者のドラマをチェックして
観ることに決める、とか

今日はケーキを買う、とか。

こんなふうに書くまでもないのですが、
皆それを自然にしています。
幸せになるために。

うん、やはり幸せは作れるもののようです。

そもそも
「幸せ」が選ばれし者、
生まれつき幸運な人や
幸せを確信した人だけに訪れるとしたら
自分は外れていると思ったりするわけですがw

自分で作る物なんだ、と思うと
その方がウキウキしませんか?!
とはいえもちろん、そう考えてみましょう、
気がまぎれるから、というものではなくて

幸せとはそもそもそういうものだから、
なのですが。

こんなことは紀元前からわかっていて
書物に残っているのに

私は今更、体感しています。
言葉だけでなく。

幸せは歩いてこない、だから歩いていく

の意味も。

幸せの青い鳥は、探すと掴まえることはできないのに
実は身近に、つまり自分の中にあるんだ、ということも

哲学的思想が流れているんですよね・・・
知っている人は当然のように知っている。


さて明日は金曜。
週末に向けて、なにか「幸せ」を仕込んでおきませんか?w



いかがでしたでしょうか。

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