ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

発想を得るのに必要なことは

ロゴスの小径へようこそ。

思いつき。
ひらめき。
発想を得る。

いったいこれはどうやったら得られるんでしょうね。
神様のささやきが聞こえないあなたや私にw

例えばケプラーは星空を見上げて
ケプラーの法則を思いついたわけですが

物理の知識の乏しい人が
ただぼーーっと星を観ても
惑星間の運動について、なんて気が付くわけがないですよね。

彼がひらめきを得たのは

物理学、そしてそのもっと先天的なもの
正五角形とはなにか、とか三角形とは、とか
そういった知識があってこそです。

星空を見て、三角形の地点が、とか
いちいち想起しなくても
彼の知識の中には、もうそれが刷り込まれています。

ちょうど私たちが
慣れない言語で

喉が渇いたから水を飲もうかな

という言葉を話そうとすると
ちょっと考えたりしますが

日本語(母国語)であれば
考える間もなく、

喉かわいたなあ
水飲もっと
あ、いややっぱ金曜だしビールにしよっと

とか
自然に出てきますよね。
自然に出てくる、なんて意識すらせずに。

そんなふうに

普段いちいち思い出さないほど
当然になってしまったような自分の知識。

それが、ひらめきの土台になるのだそうです。


これ、成功哲学の思想も同じです。
普段意識しない部分の脳(体、と呼ぶ本もあります)から
発想を得る、というような考え方ですが

そもそもデータベースとなる部分がなければ
発想が生まれるはずもありません。

とはいえ、
なにかアイディアを!!と、そのことに特化した知識を詰め込んでも
思いつかない経験は誰もがしていると思います。

ケプラーが、ケプラーの法則に気づくのは
それについてひらめこう、と決めて
その知識を漁ったからではないですよね。

何をひらめこうか、なんて決めていないわけです。

つまり私たちも、
これについて発送を得たいなあ、と
知識を漁ってしまいますが、
「何について」と決めて知識を得ている時点で
後世に名を残すほどの奇抜な発想や発見に
つながるわけがありません。
それらは既に、世の中にあるものなんですから。

よく、何かをひらめいた人の話に、
夢で見たから

とかありますが、
(有名な数式を夢で解いたのは誰でしたっけ)
あれもまさに
この原理です。

普段からの知識がひらめきにつながります。

未だ解けないような数式を
私がある日急に解けたり夢で解いたりできないのは
そのベースとなる知識がないからですよねw

成功哲学の本によくあるのが、
それについて教えてほしい、と心に描いたら
あとは忘れておく、と言うような原理ですが

あれでうまくいかないのはw
私たちにそもそも知識がないからです。

成功者の書いた成功哲学の方法は、
知識があるからこそ、
夢で数式を解けたような人の成功の方式です。

長嶋さんが心に強く描いたから
ホームランを打てた、と言いますが

私が心に強く描いても
ホームランは打てませんw

知識(ホームランの場合は素振りなどの経験=知識という解釈にもなりますが)
があるからこそ、の成功哲学です。

なのに、
心に強く願いましょう

の部分だけが本には書かれているので
ベースもないのに心に強く描いた、つもりで
なにも変化がないわけですww

もちろん著者が意地悪なわけではないですよ、
彼らはもともとそういうベースをもっていた(学んできた)ので、
それが当たり前なのです。
だからそれをわざわざ人に伝える部分だとは
意識もしていないのでしょう。
私たちが会話するとき、
いちいちまず主語を話して〜〜、とか
考えないのと同じですよねw


小学生の
時親に、
なんで勉強するの?

なんて聞いて親を困らせたのは私だけではないはずですがw

その理由はここにあったんですねw

いろんな局面でいろんな発想が浮かべば
人生が豊かになるのは想像に難くありせんよね。


さて今日の教えもベースは
ヘーゲル先生から。

哲学の本は一冊(まだ三分の一ほどですが)の中でも
ものすごい学びがぎっしり詰まっています。
その分サラリとは読めなくて
這うように読むしかないのですが。

哲学についてブログなどに書きたい、という方も
いらっしゃいますが、たいていうまく書けない、とおっしゃいます。

その場合はぜひ、一冊でいいので
哲学者の書いた本を読むことをお勧めします。
解説書ではなく。

そこで生まれる思考が、哲学です。
得た知識、はデータベースでしかありません。


いかがでしたでしょうか。

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