ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

信じたものこそ真実

ロゴスの小径へようこそ

昨日は、
高い食材だと言われて大枚を払い食べるのと
しかし実際はそれは違う食材で
でも食べただけでは気づかなかったとしたら

人は何にお金を払ったのかというお話。

ブランドものの偽物、もそうですよね。
実は偽物かもしれないものを大金を払って持っている。
けれど、それを鑑定しない限りは
それが偽物かはわからない。

人の価値とはなんとあやふやなものか。

(もちろん全部真偽がわかる人、もいると思いますが)

つまり真実とは

その人が信じたものが真実なんですねえ・・・

当たり前ですがびっくりしませんか?


変な例えですが
ストーカーなんかがわかりやすいです。
だって本当に誰が見ても嫌がっているのに、
でも本人にとっては、相手も自分を好き、
というのが真実だったりするわけで
そこに悲劇が生まれるのですが。

あれは病気だから、と思いますか?

しかし脳や心の病気とは、
病気の人とそうでない「健常者」がいるわけではなく
それは単なるグラデーション状態で
症状が強い人、弱い人、がいるだけだと
近年わかってきたそうです。

そういえば、
友達の話でも「え、それ違うんじゃ・・・」と思ったりすること、
ありませんでした?

それ、つきあってないんじゃ・・・

みたいなw


そして最近考える、ゲームについて。
このフェイクな世界。
(小説や漫画も同じです。そういえば、漫画を読むとバカになる、
と子供時代教わりましたが実は脳の発達を手伝うそうですね。
漫画に寄るのかもしれませんが)

しかし、
この世界もまたフェイクです。

相手が自分を嫌っているのかもしれない、けれど
自分は相手も自分を好きなんだろうと思ってしまうような。

これ、ストーカーに限らず、
友達や同僚でもありえますよね。
考えると怖いですがw
でもあなたも、笑顔で接しながらも
この人あまり好きじゃないなーと思っていたり

友達と話していても
つまんないなーと思ったり

そんなこと、あるはずです。

でも相手は楽しんでいるんだろうな、と思っている・・
けれど、相手もじつは同じように思っていたりしてwww

楽しかったねーまたねー
と同時に社交辞令している場合もありえますよね実際。

友人が、同窓会にいったら
あまりに話があわなくてつまらなかった
周りは皆すぐに仲良くなり楽しそうなのに
自分だけがつまらなかった、と話していましたが

周りだって、一人一人実はつまらなかったかもしれません。
わかり得ませんよね。

としたら

自分はつまらなかった
周りは皆楽しそうだった

ということが、彼女にとっての真実となるわけです。

ゲームや小説とやはりそう大きな違いはないように思います。
ちなみに哲学の世界ではそういうフェイクのものの地位はw
低いのですが

神様だってそうです。
いくらいない、いる証拠がない、と言われても
信じているその人には真実です。
また信じない人には、いない、というのが真実です。

全てが結局はそれしかないんですよね・・・


やはり、だからこそ
自分の信じる自分の好きなことをどれだけ楽しめるか

それに尽きるような気がします。


今日、楽しいこと、ありましたか?



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