ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

善を知るのに神は必要か?

ロゴスの小径へようこそ。

さて人にはなぜ神が必要か。

そもそも神とは善であり
私たちは神の存在によって、善を知るのだそうです。

私たちはなぜ、道徳を持つのか。
なぜ、それが正しいことだとわかるのか。

それは神様が最初から私たちを創る時に
私たちの中に植え込んでくれたからだそうです。

つまり神がいないなら
私たちは正しい行いができないということです。
それが正しいことかどうかの判断もできないからです。

あなたはどう思いますか?
やはり神様的な何かがいたからこそ
私たちは何が善で何が悪かを知っているのだ、と思いますか?

それともそれには反対ですか?
反対なら理由は?

そう、ここで
「私はこう思う」と自分の意見を述べたところで
何もなりませんよねw
ロゴスの小径の皆さまはその虚しさをご存知ですので
そういう方はいないと思いますが。

自分はこう思う、ではなく
論理的に考える必要があります。

だって、有名人の意見ならちょっと聞いてみたいですが、
こんな答えがあるかないかわからない問題について
いちいち誰がどう思っているか、なんて
聞いてもまったく意味ないですしねw

なのに「自分はこう思う」とやたら意見を言う人が多いので
意識してみるとおもしろいですw
ブログで自分の思いを吐くのは誰でもしていますが(それがブログだし)
一対一で主張されると逃げ場がなくて苦笑いしてしまいます。
そんなときは
心で「うわ、これこれ!自分を語りたがる人!」と
ツッコミをいれることにしていますw

意見を押し付ける人にムカッとするより、
うわ、始まった!と面白がる方が精神衛生的にもよろしいですw


さて話を戻し。


ところで、
この世の全てを創りだした「神」は、
どうやって善を決めているのでしょう。

神様が決めたことだから善になるのでしょうか?

私たちが人殺しはいけない、と思うのは
神様がそう決めた善きことだから
(ちなみに、他宗教の人間は殺せ、と神は言うわけですが)
だから私たちは人殺しはいけないと知っているのだということです。

しかし、
だとしたら
罪のない赤ん坊を飢えさせて殺すのも
神が善だと言えば善になるのでしょうか?

例えそうだと言われても
私たちは納得できませんよね。
神様の命令だからと自分の息子を殺せるのか?
あなたは家族を殺せますか?
(神はそうやって信心を試すそうですが)

それは正しいことで善であると
無宗教の私には到底思えません。

神様が決めたことだから全て善だ、というのは
どうやら無宗教の私たちには当てはまらないようです。

では逆に
善のものを神が選んでいるのだ、としたら?

神とはすなわち、善そのものです。
だから、人を無意味に苦しめたりすることを選んで
これは善だ、というのではなく
善であることを神が選んで私たちに教えてくれているのだとしたら。

しかしその場合は、
神が善を創り、神が善そのもの、ではなく

それ以前からあった「善」というものを
神が選んだ、ということになってしまいます。

神は全ての創造主ですから
それはありえません。


とすると
矛盾しない答えはただ一つ

どうやら私たちは、神さまがいなくても
何が善であるのか、を
知っている可能性があるようです。


これは哲学的考察の方法のひとつ。

ものごとを深く思考するには
こんなふうに考察を深めていきます。

こうして思考を惜しまない生活をしていると
日常のふとした場面でも
自然と深い考察ができるようになり
判断力がつくこととなります。

というのは読んだ本の受け売りですがw

ただただこういう考察が
おもしろい、と思えてしまう人が
哲学にはまってしまう気がします。


いかがでしたでしょうか。
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