ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「自分を信じる」とは?

ロゴスの小径へようこそ。

なんだかんだで、もう11月も終わり、もうすぐ12月。
仕事が忙しくてあわただしく
クリスマスもあっという間で
そしてすぐに年末が来て年があけるんでしょうねえ・・・

1年早いですね。

年々1年が早く過ぎるのは、
自分でも意識しない、ぼーっとする時間がこまぎれで増えているからだそうです。
だから日々が早く感じ、1年もあっというま。

ただでさえぼーっと過ごしがちなのに
意識しないぼーっとしている時間があるのかと思うと
ちょっと、いえかなり怖いですねw


去年末愛犬が患ってから
今年は本当にいろんなことを諦めざるを得ませんでした。
それでも、哲学についての思考時間を持てたので
今後の人生には意味があった、と思うことにしていますがw

来年はしたいことをしようと思っています。
もちろん制限はありますよ。
それは誰にでも同じことです。

お金もないのに会社をやめて世界一周の豪華旅行、とかね、
できないですよww

でも、ほとんどのことは
自分でボーダーを創っています。

「できない」と。

本当は、まあ豪華は無理でもw
仕事を辞めて世界一周、も不可能ではないことですよね。
いますぐ月まで跳べ、は無理でも。


ちょっとできそうもないことにチャレンジすると
周りの人もとても好意的になるそうです。
自分ができないことだからなのかもしれません。
応援したくなりますよね。

それは遊びでも仕事でもなんでも、なのですが。

周りの人の応援を受けて
さらにやる気も出てきます。

そして更に
もっと上を目指そう、と思ったとき。

それまで応援してくれていた人たちは皆こう言うそうです。

「無理だよ」

と。

それは意地悪や嫉妬ではなく

(そういう場合もあるのかもしれませんが、
そもそも夢を語るような相手は親しい人なので、
そんな意地悪を言われたりはしないと思われます)

「その人は経験していないから無理」としているからだそうです。

自分が無理だったことなので、
無理だよ、と言ってあげているのです。

自分でもそうですよね、
自分がやってみてダメだったことなので、
他の人に無駄な労力を取らせまいとするような親切心というか。

でもそれは、その人の経験。

ここで人生の岐路となるそうです。

「自分を信じるのか」
「人を信じるのか」。

人に相談して、無理だよ、と言われて
諦めるのか、自分でできる、と決めるのか。

こういう場合は常に自分を信じる、と
思いますよね?でも実際人はそう行動できません。

だって、相手が意地悪しているならまだしも、
本気の親身になってくれているのですから。

過去に私は誤診を受けたことがあります。
5軒も有名な病院をまわり、皆誤診。
最後に東大病院へ行って全部誤診だったと判明しました。
もう20年も前の話で、その後医療が発達し、
今ではあれが誤診だったとはっきりわかるわけですが

その時、お医者さんたちは
わざと儲けるために誤診をしたのではなく

本当に親身になって
詳しく話を聞いてくれて
治療にあたってくれました。

私がそれを退けたのは
言いようもない違和感。

当時インターネットが発達してきていて、
私は早くからその環境にいられた幸運もあり
私は誤診の被害者の会とアクセスがとれて
危うく救われたのですが

そのとき
医者=人 を信じるか
自分を信じるか

あそこで私は臓器を一つ失うかどうかの岐路でした。

もちろん生死をかけるような緊急の場合で
自分を信じて判断するのは難しい場合もあります。
でも、そうではない場合もありますよね。

あの時も周りの人に、医者の言うことを聞けと
さんざん言われました。

でも、私は自分を信じた。

あのときから、自分を信じるとは
自分に責任を持つことだ、と強く強く知りました。


あのとき、「自分で調べるなんて無理だよ、医者の言うことを聞けばいいよ」
といった周りの人は
私を貶めようとしたわけではありません。
私の為を思って言ってくれていたのです。

お医者にしてもそうです。
私のためを思って治療にあたってくれた。

だから真実はわかりにくいのです。

先述の通り、意地悪で言われているなら
疑うこともできますが
皆、親身になってくれているのですから、
そこで自分を信じるのは案外難しく、
さらに
まるで周りを裏切るような気持ちにもなります。



ちなみに
自分を信じてリサーチしてみると
当時から、海外ではとっくにその症例は誤診だと
わかっていました。
海外で技術を学んだ、当時日本に4人しかいなかった先生に
連絡をとり、私は救われました。

つまり、親身になってくれていた先生方は
新しい知識がなかっただけ。
「自分は経験していないから」わからなかっただけなのです。
意地悪で誤診してやろう、というわけではないのですw

周りの人たちもそうです。
自分でリサーチしたわけでも、経験したわけでもないので
自分で調べるなんて無理だよ、ということになります。
当時はまだ、ネット環境がそこまで誰でも扱えるものでは
なかったので。


しかし、そういう私も日々
自分を強く信じて生きられているか、というと
病気のように大きな問題に繋がる場合以外は

なんとなく、まわりの「無理だよ」に
耳を貸してしまっているような気がします。

ちなみに、同じことでも
それを既に経験した人に相談すれば
「無理だよ」とはなりません。

例えば私は社会人になってから大学に行きましたが、
誰もが行く前は、卒業は無理だよ、と言いました。

でも、行ってみると先輩たちは普通に卒業しており
卒業できない、無理だ、なんて
誰も言いません。

自分が経験したことがあれば、
自分はできたけどあなたには無理ね、なんて
そうそう思いませんよねw

さてそうなると
自分の言うことより
人の言うことを信じてしまう人には
相談する相手、というのもものすごくポイントになってきますね。

来年から
いえ

いま気づいたので今日から

自分を信じてみよう、と
そう思います。


自分を信じる、とは
自分で責任を取る覚悟をもって
周りのダメ出しは、それがどんな親身な意見であっても聞かないこと。

一緒に、やってみませんか?



いかがでしたでしょうか。
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