ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分をわかって欲しい人

ロゴスの小径へようこそ。

最近、友達がだんだん変わってきたな・・とつくづく思います。
何十年来の友達であってもこういうことってあるんですね・・・。

それは自分が変わったから。
いえ多分、ずっと内包してきたそれに気づいたからかもしれません。

最近特に気になるのは
「自分をわかって欲しい」人と
そこに重きを置いていない人がいる

ということ。
この発見は私には大きくて

人と話しているときの違和感はどうやらここにあったと
思っています。

誰しもが自己主張をしたり、
自分てこういう人なの、
こういうことがあったの、
自分はこう思っているの


人に話しますよね。

その時
自分をわかって欲しい人は、
相手をわかろうともします。

でも当然、他人なんか知り得ない訳で
結局、「わかったつもり」の自己満足なんですけどねw
でも、そういう人ってたいてい優しい気がします。
話を一生懸命聞いてくれるし
なぜか自分の話を一生懸命してくれます。

もう一方のタイプは
話すからには
やはり話は聞いて欲しいわけです。

でも実は
それに対して相手がどう思うかとか
理解してくれたかとか理解してほしいとか
どーーーーーでもいいわけです。商談でもない限りw

というかむしろ理解したつもりで
「○○だったんだね」と決めつけてくるので
え、違うけど・・・と思えたりしてしまいますw


友達を見回せば
そういえば、わかって欲しい人というのが存在します。

私の友達の割合から言うと実は少ないので
私は後者、人なんかわかり得ないし特別な理由なくわかりたいとも思わないし
どうでもいい。わかってくれなくてもいい。
(利益が伴う場合は別ですがw)
なんでしょう。

類は友を呼ぶ、はたいてい正しいので。


実はちょっとショックだったんです。

私は最近、したいことを見つけて、
見つけたの!という喜びは聞いて欲しい。

でもそれを、どういう経緯でどうしてそう思ったのか、
キチンとあって話さないと理解できない、と言われて

初めて気づいたわけです。

ああ!この人は、私を極力理解してくれてようとしている、

でも私はそれは無理だと知っていて、
ただただ子供が遠足の報告をするように、
楽しかったんだよ〜と話したかっただけ。

しかも!

そこで理解したとして・・・


なに?

それが何になるのでしょう????


私、何か欠落していますか?

初対面で近づきたい相手と話すことで多少なりとも
理解し合い、友達になった、というのとは違います。

同じことをしようと思っていて、
どんなふうに思うものか聞いてみたかった、とも違います。

つまりそれを理解したところで
双方に利益は何もないのに。

なんで「わかって欲しい」んだろう・・・
自分がどういう経緯でいまどんな思いをしているのか。
それを吐きたいのは誰にでもあってそこまではわかるのです。

でも、そうではなくて、わかって欲しい、というのが
本当に私にはわからない・・・
わかったとして、なんなんだろう・・・

繰り返しますが、既に友達である以上、
わかってわかって、と自分を話し
知りたい知りたいと相手を探ることが
なぜそんなにも必要なのか・・・
(恋、と言うならわかりますがw)


わかり得ないですよ。

日々が虚しくて消えたくなる

というこのテーマ。
これを、どんなに説明してもわかりっこありません。

それを隠して普通に過ごしていると
「最近楽しそうだね」と簡単に言ってくれますw
見た目だけ、言葉だけでしか理解しえない証。

この哲学的な虚しさは
わからない人にはわかり得ないですよ。

それでも説明を求められ、何度話をしてきたことか。
でも、このブログを読んでくれればわかるはずです。
わからないならわからないです。

自分が何者でもなく
したい仕事で使いきれないほどのお金と名誉と友達を得ているわけでもなく

そうして死んでいくという事実。
人生、失敗だったじゃん、と
うすうす気づいて
それでも死ぬまで生きていくと言う事実。

この虚しさが消えるわけがないのに

どんなに明るい言葉を吐いても
笑っても。

それが全く平気(でも本当は平気ではなく
平気なふりをしているだけ。)な人には
わかり得ません。


あなたならきっとわかってくれますよね。

あなたもきっと
そういう虚しさを内包しつつ
笑っているはず。
楽しく生きているはず。

それは、ちょっとした楽しいことを見つけて
もう心から幸せ!もう大丈夫!
とはならない。成り得ない。

このブログにしてもそうですよ。
ちょっと明るい内容を書くと、

最近元気だね!いいことあったんだね!と
短絡的な解釈をしてくれる人もいます。

虚しくても毎日落ち込んで暮らすなんて
できないですよねえ・・・w

でも、私は思うのです。
わかって欲しい、とは思っていない。と。
わかっている人はわかっているから。
この虚無を。空洞は消えはしないことを。
消えないけれど、そこにあることを知っている人と
知らない人、というだけの差だということを。


自分をわかって欲しい人は
結局哲学体質系の人ではない、ということなんだろうな・・・

自分のことを話すだけ話してきて
まるで自己中心的なのに
全然苦にならない人っていますよね。
それってきっと

わかってわかって
私ってこういう人なの

というメッセージが含まれていないからだと思います。

本人は意識していないのでしょうけれど。


なんだかうまく書けませんが(^_^;)

最近感じる違和感はここだなあ・・・と。


わかって欲しい人は、やはりわかって欲しい人と一緒にいれば
楽しいんだと思います。

相手と自分は違うからこそ楽しい、

とか言いますが
実はそんなことさえどうでもいい、と
思ってしまうのがロゴス組さんの私たちですからw

(繰り返しますが恋の場合はまた別の話ですよ!)

相手がどんなに違っても同じでもなんでもいい

ただ一点
この虚しさを理解しているというだけの
この人間の重大な重荷を知っている人、というだけが

大事なポイントだったんですよね・・・


今私は
何かあると、誰かに話を聞いてもらいたくなります。
でもきっと、これもだんだん虚しくなっていくんだろうな・・・
そうして森の中で犬と暮らしたりしたくなるんだろうかw

でもそれはnetがなくて出会いがなかった時代のお話。
私のこの死に至る病
抱えているあなたが

いてくれるのを私は知っています。

だからここで語ることで
わかってくれる人に聞いてもらえてるんだよね。

あなたに
理解して欲しいとも
理解したいとも思っていません。

ただただ、同じ空洞を持っているという
これだけで
全ての事がわかる気がしてしまうから。



乱文すぎだろ今日のロゴスの小径w
人といたい、でも人といると虚しい私に
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