ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

怒る人。

ロゴスの小径へようこそ。

自分の感情にすなおに。
悲しいときは悲しむ。

とか言いますが

なぜ「怒り」は否定的に捉えられるんでしょうね。

怒る人、というのを

子どものようだとかわがままだとか
そんな風に捉えがち・・・

私は小さいころからとてもおこりんぼでw
着火早いよ、いつか死ぬよ、というくらい
ばすばすモノを言ってしまう性格でした。

それが、
それはよくないことだ

怒ったりせずに冷静に人と接することこそが
正しくて大人だと

そんな風に思うようになって
(具体的にはそういう人たちに接する機会があって)

いえ、それに
こうして考えてみると

怒る人や
そういう「よくない感情」をもつと
自分に不幸が戻ってくる、というような
へんなスピリチュアルの影響もあり

ここ数年
優しい人 を心掛けて生きてきました。

おかげで人に
優しいと
怒らないと

言われるようになったのですが

先日の仕事での理不尽について思考して
気づきました。

確かに怒りを現さない方が
生きやすいかもしれません。

でも私は
心の中でさえ怒ることをいつのまにか
やめていたことに気づいたのです。

自分で自分の感情に気づかないことは
とても怖いことです。
蓋をして封じ込めたままつつがなく人生を終えればいいのかもしれませんが

その歪みはいづれ自分に返ってきます。
だからこそ

悲しいときは悲しむ

なんだと思います。

としたら

怒る時は怒る。

当たり前ですよね。

悲しいとか苦しいとか怒るとか
「ネガティブ」な感情として「なかったことにする」
ことへの心理学上での弊害は近年よく言われていますが

いつのまに自分は
怒ることをやめてしまったんでしょう。

それは
諦めではなく

単なる逃げ。

怒られたくないから
怒らないという交換条件のような
(ちなみに世の中はそういう交換条件で成り立っています。
殺されたくないから殺さない、というような)

しかし怒る人もいますね。
嫌われてたりしますがw

私は最近、
そういう人が羨ましい。

嫌われてもいい
怒られてもいい

自分の感じたことを大事にする。

自分を大事にするって
そういうことではないでしょうか。

自分が何を感じているのか

辛いなら辛い
悲しいなら悲しい
楽しいなら楽しい
怒るなら怒る

それをなかったことにして
生きている意味ってなんでしょうね?

怒る権利は誰にでもあるのですから。

自分の感情のままにジェットコースターに乗るように
心を揺らして生きるのは苦しいですが

感情を殺して生きるというのとは
全く別物です。


しかし現代人は怒れなくなっているそうです。

そんなわけで、
中島義道さんの「怒る技術」を予約しました♪

年末年始は中島義道氏漬けになる予定です。


嫌われてもいい。
我慢しない。
言いたいことを言う。
(ただし理不尽に我儘にふるまう、ということではないです)

そういう自分になるんだ、と古い友人に話したら

え?あなたはそういう人じゃん?

と笑われました。
つまり、その頃までの私は「そういう人」だったわけです。

愕然としました。

優しい人になろう
穏やかな人になろうと

努力してきてしまった結果が
いまの私です。

それで生きやすくなったかというと
確かに摩擦は減ったかもしれませんが
その分失ったものも確かにあります。

私は怒る。
声を荒げて喧嘩する。

還暦はまだまだ先ですがw
一足先に子供に戻ることに決めました。

自分の感情に振り回されて生きることは
したくない、というかもう無いです。
どうしても理論的に思考してしまうので。

でも、自分の気持ちを「無かったこと」にするのも
やめるつもりです。

子供時代は、感情に振り回されて心を揺らすことはなく、
しかし自分の感じたことを100%そのまま受け止めて生きて、
幸せでした。

つまり
誰に言われたことではなく、自分で自分の気持ちを決める
ということ。

なにがうれしいか悲しいか腹が立つのか
全部自分で決める。
(案外できていないものです。周りの、法律にはなっていなくても
「常識」(しかし実はそんなものは存在していません)に照らして
私たちは自分の感情さえ決めています。


これが私の来年の目標。神社でもそのようにお願いするつもりですww


いかがでしたでしょうか。
明日も仕事なのですが、来年からと言わず明日から戦いに臨むつもりで
自分を生きて行こうと思っています。


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