ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

自分を責めてしまう人

ロゴスの小径へようこそ。

世間はクリスマスですねえ。
うちは特になにもしませんが、
それでもいいワインをあけて酔っぱらいました。
風邪の病み上がりだったのを忘れて呑んでしまい(^_^;)
飲んでも飲んでも酔わな相方が羨ましい・・・

さて今日から中島義道氏の「怒る技術」を読み始めました。
ニーチェは昨日読み終わりました。
イブの日に、神は死んだ!ってねw)


先日も少し記事にしましたが、
最近、怒っていますか?

私はここ数年、意図して怒るのをやめていました。
実は宗教関係者の方に囲まれて仕事をする期間があり、
その期間に、彼らの
怒らない
おだやか
優しい
を学んで、取り入れてしまったのでした。
それが「いいもの」だと思ってそうしてしまったのですが

それは弱さに他ならない。
まあ、弱いからこそ神に頼るしかないんですけどね。

さて
そんな私はいつのまにか、人にやさしい、とか言われるようになり
それをいいことだと思ってきました。

昔を思い出すと恥ずかしいことばかり。
すぐ喧嘩するしね。
口では負けないしね。

・・・しかしそれは間違い。
その、昔の自分こそが正しかったのです。

怒りの感情を抑えつける理由は

怒って面倒なことになるのを避けたり
怒るというネガティブな感情に向き合うのを避けたり

そうすると人はどうなるかというと、
自分を責めるようになってしまうそうです。

何か嫌なことがあっても
理不尽なことでも

ああ、でも自分が悪いんだ、と。

流行のスピで、
前世が・・とか因果が・・とか言い出したので
なおさらですね。

怒るのはよくないことで、

怒るような出来事が起こるのは
自分の前世のせい、とか行いのせい、とかねw

なんでも自分のせいにするのは

とても楽なことだそうです。

確かにそうです。
人の言われなき中傷や失礼な態度を
そのまま受け止めるのはとても辛い。

そこで、
いや、自分の方が態度が悪かったんだ、と
自分のせいにしてしまう方が
その場は傷つかないのです。


しかしそれを続けるとどうなるか・・・

どんなに失礼な思いをしても
怒ることができなくなるそうです。
殺される様な思いをしても、です。

宗教を信じていればあるいは
私が悪いんです、とにっこり笑って神の身元へ旅立つのかもしれませんが

神よりマニーを信じているような資本主義の申し子である
私たちが(あ、たち、って言うな?ww)
それで心穏やかになれるはずがありません。

怒らないので人にどんどん軽んじられ
失礼な態度をとられ

そしてさらに
人の怒りがわからなくなるそうです。

人に怒鳴られても
自分が悪いんだ、と
ここで無視していればおさまるだろう、と
何事もなかったように過ごしてしまえるのは
その人の怒りがわからないからです。

それこそを「弱者」と言います。
踏みつけられてもへらへらとあいまいな笑みを浮かべて生きる

自分の感情すら「無かったこと」にするなら
自分だって「無かったこと」も同然です。


ところで、
生まれつき怒らない人、怒れない人、はいません。
赤ん坊であればむしろネガティブな感情に敏感だそうです。
死活問題ですもんね。

子供時代は怒って泣いてさわいだはずです。

ということは、先天的な物ではなく
自分で長年そうしてきた結果、ということになります。

それともう一つ。
政治や、誰からみても
それは悪い

と思うようなものを怒っても、それは自分の感情ではないそうです。

戦争はよくない、

と怒るのは
安全で、誰もが認めてくれる怒りです。

そうではなく
怒り、とはもっと個人的な利己的なものです。

空港に気軽に荷物をおいて盗まれたら
そんなところに置いておく方が悪い、と
誰もが言うでしょうし
それが正論でしょうけれど

そういう理屈抜きに怒ります。腹が立ちます。

怒れない人はここで
おいておいた、自分が悪いんだよね・・・と
あきらめます。

怒ることで荷物が戻るわけでもなく
怒りの感情は不快なので、
自分のせいだとあきらめる方が楽ですが。


ちなみに
急に今日から怒る!と思っても
なかなかできないものだそうで、
徐々に練習を積んでいくと怒れるようになるそうです。

特に、自分が悪い、と自己欺瞞に陥りそうになったときは
そこで怒りを転換する必要があります。
とはいえ、具体的にあの人が悪い、と
思えなくてもいいそうです。

まずは怒ることから。

身の周りにも、怒る人がたまにいますよね。
つい最近までは、生きにくそうだなあ、とか
丸く収めておけばいいのに、なんて
大人ぶって思っていました。

が今は
理不尽な思いをしたらきっぱり怒る。

それはものすごいことだ、と本気で思えています。

実は今日もまた仕事の責任をなすりつけられそうになり
今回は証拠をつきつけました。

自分が悪い、ということにしておけば
丸く収まるし、仕事も引き続きもらえるし、と
思ったりしてきたのですが

考えたら
そこまで卑屈にならなくても、仕事はもらえるものですw


ときどき説明のできないような感覚、虚しさに襲われた時・・・
それはもしかしたら
自分で気づかないだけで、「怒り」かもしれません。

一緒に、自分の怒りについて
見つめてみませんか?



いかがでしたでしょうか。

クリスマスの夜に辛辣な内容でゴメンネw

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