ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

怒る技術

ロゴスの小径へようこそ。

中島義道氏の「怒る技術」を読み終えました。

やはり面白かった。

私はここ数年
怒れない人になっていましたが

ほんの数年前までは
怒る人、でしたw

痴漢にあえば走って追いかけて
警察にしかられたり(危ないので追いかけてはいけないそうです・・・夜道だったし)

怖そうなお兄さんとの言い合いも
何度か経験してます・・・
鉄砲玉のようでした。
火の玉ガールと自称しておりました。

ところで、ここ数日この本を読んでいて矛盾を感じていました。

つまり

私は、心の平穏のために哲学を学びだしました。
ジェットコースターに乗るように気分のアップダウンを繰り返す日々は
もうたくさんで

心穏やかに過ごしたい、と思っていたのです。

にもかかわらず
自分の感情のままに怒る、ということは

また心を揺らす日々が始まるのではないか、と。

お読みくださっている方のなかにも
気づかれていた方もいらっしゃると思います。

あれ、言ってること矛盾してない?と。

著書を読み進むと、やっと理解できました。

それは
冷静に怒る、という技術の紹介だったのです。

むしろ、怒りは納まると思います。
実際中島先生も、この方法で怒りが少なくなった、と書かれています。

私はといえば
ナイフみたいに尖っては関わる人皆傷つけてきた感じです
(あ!と思ったあなたは昭和・・・w)

これではいけない。

そういえば、最近見つけた希少な哲学仲間。
彼女が先日
「自分はうまく怒れない」というような話をしていたのを
思い出しました。

うまく怒れない、というのは
怒れないわけではなく
上手に怒れない、というような意味でした。

ん、なんかそれわかるような・・・と思いつつも
深く探らなかったのですが、今わかったような気がしています。

興味のある方はぜひご一読をお勧めいたします。
中島先生の著書はとても読みやすいです。
(とはいえカントやヘーゲル、など哲学者の思想を
テーマにしたものは哲学の基礎知識がないと難しいと思います。)

ところで、
怒りの中で最悪なものは
「一般的」と言われる様なものに対して怒る方法だそうです。

例えば
政治が悪い!マナーが悪い!お年寄りは大切に!のような

怒っても誰もがそれを理解してくれるようなものに対しての怒りです。

原発が悪い
戦争は良くない
詐欺は悪い

誰もが賛成することで、
安心して怒る。
しかもその意見は、ほとんどがテレビなどの受け売りです。

TPPに反対、と言う時に
いったい、どこまで反対と言えるだけの知識を得てから
怒っているのでしょう?

この場合の本当の自分の怒り、など
これによる未来を想定できる知識のある、
政治家や(ただし発言するかどうかは別ですがw)学者でないと
できないのではないでしょうか。


こういう、一般的な怒りで
怒ったつもりにいることが一番危険だそうです。
自分本来の怒り、というものがなく怒った気になっている。

しかし本当の怒り、とはもっと個人的なものです。

先日ケーキ屋さんで、
中年女性とその父親と思しき二人が
ショーケースの前にはりついて、ケーキを選ぶわけでもなく
おしゃべりをしていました。
他にもお客さんはたくさんいたのに。

その時私は
殺意すら覚えましたねw

すいません、ちょっといいですか

とだけ言いましたが


これを、
そんなの放っておけばいいじゃん、とか
少し待てばいいでしょ、とか
いろんな意見があると思います。

本当に邪魔だよね、と言ったときの
同行していた友人は、不快そうでした。
それくらいでなんで怒るの?という感じで。


また、カフェで子供が大騒ぎしているのに
親がそれを全く気にせず友達とおしゃべり・・・

それも許しがたい。

でもこれを、許せる人もいますよね。
店員さんは、かわいいですねえ、なんて笑っていたりして。
それがまた私をイラつかせるのですが。

反面、
同じ場所でも、子どもがうるさいのをとても気にして、
すいません、といいつつ恐縮しているような親だと

いいんですよ、という気持ちになってにっこりしてしまったりします。


それと私は犬が好きなので
犬がいくら吠えても騒いでもかわいい、と思うだけです。
全く怒る気になれません。


わかります?これ。

そうです、怒りとは
「一般常識」と言われる様なものに関係なく

自分の好み、というかそこに関わってくるものなんですね。


自分が何に怒るのかは、
世間で「善い」と言われることとは無関係です。

だってしかたないですよね。

人間てそんなものなんですから。


最近気づいたのですが、
私は他人に勝手に「あなたはこういう人」みたいに決めつけれらるのが
大嫌いで腹が立ちます。
もちろん長年つきあった友人や家族であれば
ある程度そういう話もできるとは思いますし、
心当たりのあることなら、腹もたちませんが

本当はスピリチュアルを信じているんじゃないの、
とか

簡単に言われると
こいつ馬鹿じゃないか、と思ってしまいます。

このブログをお読みくださっている方であれば
私がどんな複雑な経緯で
それでも神社に通うのか、などもうっすらわかっていただけると思いますが、

ちょっと神社参りにいったくらいで
「ほらね、やっぱりスピリチュアルを信じているんじゃない」
とか、
まあ、哲学病の人はものすごく少ないので
神について宇宙について神秘的なものについてもしくは
それたはいっさい無であることについて

なんて考えもしないので
そう短絡的に烙印を押してくれるのだと思いますが。

私が本当はどういう人かなんて誰にも知り得ません。
だって、自己開示なんかそうそうしていないですからw


ああ腹が立つ!腹が立ってきた!!!


・・・と、いうように
怒りは育てるものだそうですw

そしてその怒りを、私がいままでしてきたように
そのまんまぶつける、ではダメなんですよね・・・
そのあたりが著書に書かれています。


それくらいのことで怒ることないじゃない、と
思われたかもしれませんが

こんなふうに、人の逆鱗は、どこにあるかは
わからないものなのです。
そして、そんなことで怒るのはおかしい、と言う権利は誰にもなく

自分もまた、そういう個人的な怒りを持っていることを
一般的な怒り
・・・政治家が、とか、最近の若い子は、など・・・
に転嫁して、忘れてしまっているだけなのです。


ところで、怒ることにしたら
人生がいい方向に進む、とは言い切れません。
当然、怒って本音を話すことで友達は減っていきます。
嫌われていきますよ〜〜〜w
それでもなお輝く魅力があるなら、
友達はいなくなることはありませんが。


なので、
やはり怒ったりはせず、感情に蓋をして
生きていくのもありです、というかそちらの方が普通ですよね。

どちらが正しい、とは言い切れません。
どう生きるかはその人次第ですから。


今年もあと少し。
自分はどう生きるのが自分なのか、
というあたりを考えてみるいい時期のような気がします。



いかがでしたでしょうか。
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