ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

世界を無理に愛さなくてもいい

ロゴスの小径へようこそ。

年末年始で空気が澄んでいるせいか
富士山はきれいにみえるし、東京でも星がとてもきれい。
夕方の赤もきれいたし、空の青がまるで田舎の空みたい。

世界は美しい。

この美しい世界。
愛すべき人々。
私たちは愛を持って神に創られた

世界は愛すべきもの
人生は愛すべきもの

そんなふうに定義づけられている昨今ですがw


世界は、
そんなに必死に愛さなくてもいいものだそうです。

いえ、普通に愛している人はそれでいいんですよ!

そしてこの場合の世界、とは
いろんな国、とか地球とかそういう意味ではなく
この世の中、という意味です。

必死に世界を、人生を愛さなくても
人はいずれ死ぬ。

もちろん、だからってやりたい放題して
公害垂れ流しでいい、とは思いませんが

ちなみに
エコロジーの思想はもともとは宗教が発端です。

神様(人間型で、万物を創造し運命を操るような)なんかこの世にはいない、と
人はとっくに気付いてしまったのですが

そうなると、神の代わりになるものを探し出してしまう。
人は信じるものがないと生きられないほど、弱い。

そこで神の代わりに生まれたのはエコロジーの思想。
(そこにつながるモトもあります。ニューエイジと呼ばれていますね。
思ったよりブレイクしなくて既に下火ですが)
この美しい地球をみんなで守って後世に伝えようというような
信仰です。

過度なエコロジーの人が、ちょっとアレな感じなのも
うなづけますよねw


まあ、実際私もできる範囲でエコロジーを心掛けています。
それに意味が本当にあるのかはちょっと謎ですが。

例えばペットボトルのキャップ。
あれ必死に集めて、送ったりしてね。
実は、以前の会社で、それをしようと企画したことがあったのですが、
調べてみると、キャップをものすごい量集めて送っても、
注射1本分。=40円程度なんだそうです。

キャップを会社に送ってください、という送料を
そのまま寄付した方が、多くの子供を助けられるわけです。

と知りつつ、なぜ企業はキャップを集めるのか?

もうおわかりですよね。
イメージアップのため、です。

まあ、そんななので意味はないかも、
しかし寝覚めが悪いのでやっとくか、って程度ですね。


世界を愛そう
地球を愛そう
人生を愛そう

それが、楽しいのであればいいのです。
宗教だってそうですよね、幸せになるならやればいい、
でも
誰かに勧められて強引にやらされるものではありません。

世界、つまり人生も同じです。


たった一度きりの人生だから
大事にしよう、愛そう、何かを成し得よう

なんて
余計なお世話。
人生を必死に愛する必要は、ない。

言われて気づきました。今更。

そりゃそうですよねえ!!!

他人に迷惑がかかるわけでもなし

人生を愛する、としたら
いまのままの人生は到底愛せないし
過去の後悔も半端ないし


今のままのあなたでいいのよ、
今のあなたの人生を感謝して愛しなさい。

なんて言われると更に苦しいw

でも、そんなに必死に愛する必要が
どこにあったんでしたっけ???

必死に人生を愛する、なんて
まるでペットボトルのキャップを必死に集めているようなものです。

それが正しいことのように見えつつも
それを運ぶ運賃、送料を直接寄付した方が
よほど多くの人を助けられる、というような矛盾。


人生も世界も別に愛していない。

それでも生きていて、

それでも幸せな気持ちになったり
笑ったり
楽しかったり

それもアリ、ですよね。って当たり前なんですけどね・・・。

私はいったいどれだけ、人に言われたことを忠実に守って
自分では思考もしない「奴隷」でいたことか。
いまだに、日々ハッとさせられることが多いです。


ところで、
あなたはどんな時に 怒りますか?

私は昨日、
私を勝手に理解しているように思われるのに
非常な嫌悪感がある(しかし、当たっていると思える場合は
その限りではありません)と書きましたが

これって人によって違うんだろうなあ、と。
今日会った友人にも聞こうと思って忘れていました。

他の人はどんな時に怒るんだろう・・・

あなたは、自分がどんなときに怒るのか、を
知っていますか?


ちょっと考えてみてくださいね。



いかがでしたでしょうか。
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