ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「いい人」をやめる。

ロゴスの小径へようこそ。

皆さまあけましておめでとうございます。
新年にあたり、今日は今後の自分の人生についての決意について
思考・確認してみたいと思います。


さて
年末年始にかけて中島義道氏の著書を読み
人生の虚しさを噛みしめつつ
自分の道がやはり決まったように思えております。

人生、しょせん気晴らし

人生、しょせん気晴らし

中島先生の著書は読みやすく本当にお勧めです。
特にこちらの著書には、人生相談の項目があり、
ここに共感できる方は哲学体質なんだろうな、と思います。

楽しく、楽に生きるために哲学を、と言う人が非常に多いですが
(そして、それができる人はそれでいいと思っています、というか
むしろベストだと思います)
哲学をする人は、そうせざるを得ない人なんだろうな、と
再認識した一冊でした。

そして哲学体質の人が自分自身で思考していくには、哲学書を読むことは必至なのでは、
と思っておりましたが、その旨も書かれていました。

ですので反対に言えば哲学体質ではない人は、
中島先生の著書や、今後はどうなるかわかりませんが、
いままでのここ、ロゴスの小径のようなサイトをお読みくだされば
充分だと思います。(って並列できるレベルじゃないですよ、もちろんw)


哲学書は本当に難しいです。
(サラリと読めるなら本当に読んでいる、とは言えません。
大学の講義でも、1ページを何時間もかけて読みます)
数行読んだだけでも難しく、とても苦痛で無理・・・

と思いつつも
読まずにはいられない。
哲学体質の病気であるあなたも私も

こんなブログで読む「他人の思考」で満たされるわけがありませんよね。
思考のきっかけには(お互いに)なるかもしれませんが。


もちろん、難しい哲学を学ばなくても
このブログがなんらかのヒントになって、
少しでも生きるのが楽になってくれたら本当にうれしいです。

そもそも、ここは私の思考の場で
誰かのために、なんて思いは(最初は傲慢なことに、その思いはありましたが)
全くないのですが、それでも私が大学にいくことで哲学と出会えたように
出会いのきっかけの場くらいになっていてくれたらうれしいな、と
思うのですが


しかし 哲学 とは、楽に生きるためのなんらかの道を紹介してくれるものではありません・・・
そう期待をしている方が非常に多いし、私もそう思っていましたし

哲学体質ではない人にとっては、
そういう効用もあるとは思います。

私も同じでした。楽に生きる道を見つけた、と思っていたのです。

しかし
哲学書を読み思考を深めていくうちに
私は気づいてしまいました。

哲学はむしろ、苦しい道なんだと。
にも関わらず、そこに目を向けることだけが救いになっている人がいる、
ということに・・・。

そういう方には、哲学書をお勧めします。
当然学問ですから難しく、努力も必要です。お勉強です。
けれどそうせずにはいられないあなたは
多分私と同じ病気です。

そんなわけで今年は
哲学書のご案内もしていきたいと思います。
いままで「難しい本は無理」とのご意見もあり敢えて避けていたのですが。


さて私は新年にあたり
というか、去年末あたりから実行していますが

好きに生きることに決めました。

好きに生きる、とはつまり いい人をやめる という意味です。

自分も好きに生きます!というご意見をよく聞きますが

実は積極的にお勧めしているわけではありません。
だって、友達減りますよ?w 私は実際激減しました。


けれどそれでいいと思っています。

もうあと数十年で私は死ぬのですから

(ところで、今はまだ若いから、何歳になったら始める、みたいな設定を
する人も多いですが、明日死ぬかもしれない確率を無視しているんですよねえ・・・。
もちろん、定年までは我慢しよう、みたいなちょっと動かしにくい設定は存在しますが
そうではなく、自分で勝手に決めた ○歳になったら、は
危険だと思っています。それまで生きられる保証は誰にもないのですから。)

一分一秒たりとも
「無駄な時間」は過ごさない人に決めました。

ところで、この無駄な時間、とは
ぼーーっとしていないで 勉強するとか
ゲームなんかしないでクリエイティブな作業をして「生産的に」過ごすとか

そういう意味ではありません。

ぼーーっとしていてもゲームをしても友達と遊び歩いても映画を見ても
何をしてもいいんです。
ただそれが「自分のための時間」でありさえすれば。


とりあえず今年で、年賀状をやめるつもりです。
今年からいっさい辞めればよかったと後悔しているのですが
購入してしまったので来年からw

ぶしつけでも構いません。
それで失う友達なら、その程度の仲だったということですし
何年も会わないのに現状を報告し合う意味もよくわかりません。
それでも会いたい人や連絡したい人には
メールしたり電話したりアクセスはとりあっていますし。


また今日は実家に甥と姪が来ているので
足を向けないようにしていますw
だって子供嫌いなんです私。
お年玉だけくれ、というあの視線を浴びるとますますあげたくなくなりますしね。

信じられない!!と言う人も多いでしょうけれど
犬が嫌いな人、と言うのを私が信じられないように
人には好みがありますし、とやかく言われる覚えもありませんしね。

うちの親もまた私と同じ病気なので
いっこうに気にしていませんし
しきたり、とか風習、とか世間の常識、といわれるものに
いっさい興味を示さない家風でw
(とはいえ親の無知からというより、医師だった祖父は哲学も学んでおり、
その思想が生きているようです・・・というのも最近気づきましたが。)

気にする親でなかったことは本当に感謝ですが、
もし気にする親であった場合は、私はここで いい子 をやめることに
する、ということになります。


既出の中島先生の著書には、介護について悩む方への回答もありましたが
ものすごくうなづけました。
例えば私が 犬の介護をしていますが、
これをやめたいなら

人に押し付けるか、お金を出して施設にいれるかすればいいわけです。

それをしないのはひとえに
しかたなく、よりも、自分でしたい、という思いが上、
つまり自分で選んでいるからです。

ここで、
人目があるから、とか誰もしてくれないから、とか
「いい人」になるためにする行為は欺瞞です。

考えやすいように犬を例にしましたが
人間でもまったく同じです。

親の面倒もみないような「ろくでなし」の犠牲になるのは
いつも「いいひと」です。

自分ばかりが親の面倒をみて、きょうだいはしてくれない、という話を
ものすごくたくさん聞きますが

それも自分が いいひと になりたいからというだけ。

ろくでなし

いいひと

につけこんで、嫌なことを押し付けて軽々と生きていくのです。

いい人 ができることは
死後に地獄に落ちるよ!とか、いまに罰があたる、とか
そんなありもしないことに期待をこめて

親やきょうだいを憎んでいくだけ、という図式です。

ちなみに

ろくでなし
の方は、親に面倒もかけられていないので、親を憎んだりも
また いいひと に感謝こそすれ、憎んだりはしないわけです。

スピ理論wでいくと、ろくでなし、の方が正しい人に、なってしまいますがww


ちなみに私は

いいひと
であり
いいこ

でした。

良くも悪くも自負しています。
長女だったせいか、なんでも自分がしなくては、と思い込んでいたのです。

それは親のことだけでなく、
例えば友人とどこかにいくときでも

お店頼むね、と簡単に言われて
それに何時間も費やして場所を調べたりしていました。

もうそれもやめます。

(とはいえ、ギブ&テイクで、自分が得意な場所なら自分が調べる、という
図式をとってくれている友人が圧倒的で、それは当然その限りではありませんが。)

私は耳に病気があり、電話が苦手なのですが、
そんなことはすぐに忘れ去られてしまうので
毎回、
ごめん、私は耳が悪いので電話予約は苦手なんだと話し、

いいよ、代わりに予約して「あげる」ね

と言われることも茶飯事です。

そういう理不尽にも戦っていきますw

もちろん、私がすべきところを代わってくれた場合は
感謝しかありませんが、

私の役目でもないのに店を探させ、
電話もして「あげる」と言われることに
なぜ毎回感謝しなくてはいけないのかが謎でした。

でもそれを言えなかった自分が弱者であるというだけなのですが。
つまり、いいひと でいたかったというだけです。

つまりね、
こういう場所や友達に愚痴らないといけないような出来事は
その場ですっきり解決できなかったこと、に他なりません。

そういうことに腹を立てる時間も無駄ですから
その場ですっきり解決していこう、と思うわけです。


自分にメリットのないつきあいや時間を過ごさない。

例えば仕事は、そりゃー 好きに生きる=好きなこと に直結しない
場合もあります。でも
お金というメリットがあるわけで切り離せません。
(友人はこれを、もっと若いころに玉の輿に乗っておけばよかった、と
言い放ちました。親が富豪ではなく、仕事もせず、お金が入る状態とはまさに!それ!です!!
ちなみに女子だけではないですよ。友人の男性は富豪の親をもつ女性と結婚して
老後は安泰だそうです。うらやましいー!)


嫌な奴だ、と思っていても
人間的魅力のある人とはまた会いたくなるのは
これも自分にメリットがあるからなんですよね。

世間ではこうだから、という「常識」という(しかしそれも
自分が常識だと思い込んでいるもの、にすぎないのですが)ものに照らすのではなく

自分にメリットがあるかどうかで判断する。
(お金だけがメリットではない)

それだけで判断すると、迷うという無駄な時間もだいぶ回避できることに
気づきました。

甥や姪に会うべきか?

も一瞬迷いましたが、会いたくないので会いません。

そんな時間で本を読んだりした方がよほど楽しいですし。

(いえ、ここで甥に会いたい、と言う人は会うべきです。
人それぞれです)


そういえば義母から荷物が送られてきました。
ありがたいですがお礼の電話も面倒なので
(耳が悪いので電話が苦手なのです。と何度言っても電話されてしまうのですが)

お礼を兼ねた年賀状でも出しておけばいっか。
(年賀状は元旦に書くと決めているのでまだ出していません)

ところで、いいひとをやめるデメリットもありますよ。

子どものいない私は、甥や姪と仲良くしておけば
老後を見てくれる可能性もなきにしもあらず、だとかw

お礼もいってこないなんてひどい嫁だ、と言われたりね。

でもそこは当然、引き受けるしかありません。

好きに生きる、とはそういうことですから。
それが嫌なら、世間の風習に習い、
親戚とは「常識的」におつきあいする、などするしかありません。


しかし
いいひとをやめると決めてからの清々しさと言ったら!w


過去を振り返ると、元旦に

今年こそ、人を幸せにできる人になろうとか
人にやさしくしようとか
自分が幸せになろうとか

三日で忘れる決意表明をしてきましたがw

今年(から)は、

好きに生きる。=いいひとをやめる。

他人のことを気づかう残り時間は
もう私には無いようなので

今後は いいひと から利益を貪る
(といっても詐欺をするとかそういうのではないですがw)
ろくでなし を目指しますw


それを規準にすると、
大学に戻ろう
とか 塾に通うことにしよう とか
中途半端だった制作や、個展のあり方だとか

そういうすべてに、道がはっきりと見えるようになりました。

まあ、それでも何をしても虚しいんですけどねw



新年早々シニカルでごめん・・・
いかがでしたでしょうか。


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