ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「仕事の成功」

ロゴスの小径へようこそ。

世界的に有名な歌手とか俳優とか
大リーグで活躍する野球選手とか
政治家とか映画監督とか

子供時代本当になりたかったものになれるような人は
ごくわずか。

本当になりたかったもの

なんてそうそうなれないですよね。

ごく一部の人が
能力と環境とものすごい偶然(運)などで
勝ち得るものですから。


ところで私は
日に日に
「仕事の成功」みたいなものが自分のアイデンティティでもあったのに
だんだんどうでもよくなっています。

(あ、ちなみにお金は欲しいですw成功とは別ですw)


この、仕事の成功、みたいなものは結局
「自分の本当にしたいこと」ができなかったことのへ代償行為だそうです。


大学教授になれないから小学校の先生になった。
直木賞なんかを取る作家になれないからライターになった。
歌手になれないからゲームの音楽ディレクターになった。

・・・
で、その「代わりになったもの」で
成功しようとする。そこでブランドを得ようとする。
そこでブランドを得れば
「本当になりたくてなれなかったもの」の
代わりになる(と思っている)から。


でも、真実を求めてしまう人は
その「横滑り」ができないそうです。

目を逸らせないんです。
本来自分が何になりたかったのか、から。
自分を騙せないんです。
仮に 代わりになったもの、で成功したとしても。


でも、そうえいば自分は何になりたかったんだろう・・・

お嫁さん

でないことは確かですw

記憶にかすかにある

学校の先生も
ピアノの先生も

「先生」という偉そうな立場になって
好き勝手してみたかっただけですし


小学校を卒業するときには既にデザイナーを志していましたが
それも親にそう言われたからに過ぎません。

画家を夢見たことはなかったですね。

ひたすら外に出るのが嫌だったな
そして
死んだ後のことばかり考えていました。

死んだらどうなるのか
地獄はあるのか
怖くて一人で泣いていたこともしょっちゅうです。
急に泣き出すので親がびっくりしたこともありました。

死んだらどうなるかを考えていたなんて
言わなかったですけれど


哲学にもっと早く出会えていたら
人生は違ったかもしれません。

私に「なりたいもの」なんて、なかったんだと

最近思い出しました。


結局自分を満足させるブランド
イラストレーターやデザイナーをしてきましたが
いつの頃からかそれは「スキル」というだけになり
それを目指していたわけではない・・・

それは 画家 であっても同じです。
画家ならいいのか、と始めた制作でしたが

画家でもある自分の先生方を見ていると
自分とは絶対的に違うものを感じます。

哲学とアートは対極のようなものですから。
(だから一緒、とも言えますが)
そもそも美大で本当の専門的な哲学は学べません。
選択さえできませんから。
(いい悪い、ではなく、その分他のことが学べるだけなのですが)


ちなみに、
夢をあきらめるための自己欺瞞、ともきっぱり違います。
今の夢は夢で別途あり、諦めていません。



仕事の成功にこだわる意味とは

本当になりたいものになれなかったから。


考えたら、本当にしたいこと、は
成功しようがしまいがやりますもんね。



いかがでしたでしょうか。
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