ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「常識」

ロゴスの小径へようこそ。

世間には「常識」とか「普通」というものがあります。

・・・そうでしょうか????!!!!

意外に知らない人が多く、
そして私も哲学を学び始めてから知ったのですが

そんなものは存在しません。

それは単に、その人が思うところの「普通」でしかない。

「常識」や「普通」が、
普遍的なものとして存在するわけではないのは、
例えば国や地方によって違ったりするのをみてもわかります。

一夫一婦が「常識」でしょうか?

他の国の常識は?
そもそも日本も武将など身分ある人は
一夫多妻が「常識」でした。


私自身も「普通」という定義に捉われて生きてきたので
よくわかります。

私はなぜか目立ってしまう子で、それで損をすることも多かったのです。
いえむしろその方が多かったか・・・

なので
なるべく目立たないように

なるべく「普通」でいるように

心掛けてきたわけです。

でも、私はどこか「変わっている」らしく、
社会に出てもそれで嫌な思いをしましたよ・・・
こちらは精一杯普通のふりをしているんですがww

素は隠しきれない、という話ではないです。

私は「普通」を演じていたのですから、
つまり私が思う「普通」が「普通」ではなかった、と
言うことになります。

演じきれない自己中心的な部分は、
思い出すだけで恥ずかしいような無謀さでしたが、しかしごく最近
それでよかった、と思えるようになってきました。

人の迷惑とかなにも考えず
自分の欲しいものを一番に欲しい、といって
持って行ってしまうような自分。

それでよかった、と思っています。
遠慮するのが「普通」なのかもしれませんが。



話を戻して

そんな、誰に命令されたわけでもない
自分で勝手に決めた「常識」に
自分を縛って生きるなんて、なんてバカらしいんでしょう。

たいていは、育った家庭の「常識」がベースになっているとは
思いますが。
(その意識はなくても)



ところで、
「常識」は、「流行」と同じように意図して作り出されている場合があります。

ちょっと考えただけでも
販売戦略の匂いがぷんぷんしますねえw

そして、そういう「世間一般」とか「常識」とかを信じて生きている人は
自分は自分の決めた生き方を選ぶごくごく一部の人に搾取されつつ
生きていくわけです。
世の中ってそんな図式でできていたんですねえ・・・。


あまりにも長く、真実に気付かずに生きてきたので
意識しないと思考が切り替わりませんが

あとの人生は徐々に自由になっていく予定です。


いかがでしたでしょうか。

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