ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

ニヒリズムへの道。

ロゴスの小径へようこそ。

最近哲学史をダイジェストで学んでいます。
今まで点在していた知識が、だんだん線でつながってきて
ますます哲学がおもしろくなってきました。

犬の介護が始まってからのこの一年。
独学でも少しずつでも
去年の自分とは格段の違いの知識の量です。

こうしてどんどん、だんだんいろんな哲学書
面白くなっていくんだろうな・・・。

過去を後悔することは未だにあるけれど
そのどれを抜いても哲学に出会えていなかったかも、と思うと
ゾッとします。



さて

何かひとつ夢を叶えても
また次の夢が生まれてきますよね。

始めはこれだけ稼げればいいか、と思っても
どんどんもっと稼ぎたくなる、というように。

もちろんお金の話だけではなく

人の欲には限りがないそうです。

これでもう満足、という状態がないそうです。

それを、
いつまでも意欲があっていい、とか夢があっていい、とか
言うような風潮にありますし、
自分もそうありたいな、と思ってきました。
常に夢をもっていたい、と。

しかしそれはショーペンハウアーによると
「人のみにくさ」のようなものをあらわしているといいます。

人生に生きる目的や意味などそもそもないのに
手に入れても手に入れても
なお欲しいと思ってしまう永遠の欲。

そしてそれは他人を蹴落とすことで得られるわけですから
(一番になりたい、と願えば
今一番の人を蹴落とすことになります)

充分に住む土地があっても領地を少しでも広げたくて戦争をするのと
同じことですよね。

戦争のような虚しい、他人を殺す行為を人間がするのは
そもそも人間の性質が、欲を常にもつから、ということに
なるのでしょうか。

そう考えていくと
あまりに世界は醜く汚く虚しい。(自分も含め)

ペシミスト、とはこんな風に世界に嫌気がさしてしまうこと。

しかしそれでも生きていくしかありません。


ショーペンハウアーによると、これを打ち消すには二つの方法があり、

ひとつは芸術(特に音楽)で、一瞬の気を紛らわすことはできますが、
それはその時だけのことで抜本的改革にはなりません。

もう一つは道徳に従って生きること。
詳細は省きますが、自分を殺して社会のために生きるような生き方です。
(カントによると、道徳とは、それが自分の喜びに繋がるものではなく、
ただ従うものということです。車の通らない赤信号でも止まって待つようなものです)

どちらも難しそうですね・・・

ここから西洋思想に、東洋の思想が混ざるようになるのですが、
仏教の修行を重ねるようにして、自分を無にすること

解脱、と言われる様な状態になること

つまりそれは、自分を無くすこと。これがニヒリズムにつながります。

108の煩悩を無くし無我の境地に至る。

東洋思想は宗教のようであって、実は哲学がベースです。
(ただし神道はまた別です。)
まあ、昨今は宗教に成り下がって(?)いますが。



やはり私はどうしても
ニヒリズムに惹かれてしまうんですよねえ・・・
その本当の意味も最近ぼんやりとわかるようになってきました。


乱文になりますが、
今日は金曜。
一週間早いですねえ!

仕事は相変わらず忙しく
いろいろありますが

やはり自分にとってはどうでもいいこと、に
なっています。
今している仕事も、
日本人なら誰でも知っているような有名人のお仕事。
でもなんというか、感動はないというか。
他の仕事となんら変わらないです。

逆に嫌なことがあっても
同僚に愚痴れば終わり。

そうそう、以前は愚痴なんか言っても解決しないし意味ない、と
思ってきましたが
愚痴言えばすっきりしてあとはどうでもよくなる、って
あるんですね!!
これも最近知りました。

その程度の事、であれば
それでいいんですねえ・・・しかも愚痴といっても
皆でけらけら笑いながら。

酷いよね!と怒るのではなく
なぜか笑いが起きるのです。そこがまたいいです。いまの仕事先。

やはり、思想は生活にだんだん影響してきますね、つまりは生き方に。

あなたの日々も変わりましたか?




いかがでしたでしょうか。

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