ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

手に入れる覚悟

ロゴスの小径へようこそ。

何かを手に入れるなら
何かを捨てなくてはならない

基本、両方手に入る場合も多々あるので
フライングで捨てるべきではない、と思っています。
断捨離に過度な期待は宗教(不信を抱かず盲信する)と同じです。

でも
どうしても、どうしても

選ぶしかない時は必ずあります。

そんなときどうしたらいいんでしょうね。

結局人間は
自分のしたいことをする以外にありません。

例えそれがネガティブな選択であっても、
それは自分がしたくて選んだことに他なりません。

あの時、○○をすればよかった、と後悔しても

それはその時、「それをしない」を選んだ結果なのです。


常に私たちはしたいことを選択し、ここにいる。

そしていつも理由はあとでつけるものなのです。

「あれは引き寄せだった」とか
「あれは神様のお導きだった」とか
「あの時はああするしかなかった」とか

ところで、歴史を批判することに意味は無い、と言うのを
ご存知ですか?

今から過去をふりかえって、
あんなことをしなければよかったのに、

過去を批判しても

実際その時はそうせざるを得なかった状況があって
そうなったので

違う時代である今から批判はできないという意味です。

例えば、
男尊女卑はおかしい!なんで女は子どもを産む以外は意味のない
程度の低い存在だったのか!

と腹を立ててみても

その時代ではそれが当然だっただけです。


ちょん髷って実は間抜けだよなあ、と思っても
当時はそれが当然でしたし

そもそも歴史を遡って是正もできませんから
過去を批判しても、意味がないのです。


これは自分一人のことでも同じですよね。
過去を批判しても意味はない。

確かにその時選んだのですから。


先のことはわからない。

理由は後でつければいいんです。
失敗しても
「いい経験になった」とか
「あれがあったから今の自分がある」
とか

そんなのも全て、あとで勝手につけた理由です。


そうして生きてるんですって。人間って。


実は私もいま選択に迫られています。
とりあえず今月中に、
リスクを覚悟で引き延ばしても来月中には答えを出す必要があります。

それはたったひとつの小さな出来事のようでもあり
しかし
一生を決める問題でもあります。

いろいろ理由を考えていますが

結局自分で決めて、あとで理由をつけるしかないんでしょうね。

としたら
何を選んでも間違いではない、ということになります。

あとで理由をうまく自分がつけるんですからw



いかがでしたでしょうか。
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