ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

過去を書き換えたい。

ロゴスの小径へようこそ。

書き替えてしまいたい過去、ありますよね。

それは直近に起こった失敗ばかりでなく
子供時代のことだったり

反省しても後悔しても今更意味のないことだったり。

にも拘らず私たちは、常に過去をうだうだと考えているそうです。
無意識でいるときの90%は過去について考えていると
言われているくらいです。

未来を考えよう!と考え始めても、

いつの間にかぼんやりと過去の失敗や
選択ミスと思っていることを思い出していたりしてw


しかし過去は書きかえられない。

私の場合は哲学を学びだす直近までのここ数年

過去を思い出すときは、後悔することばかりでした。

それは重大な決断だけでなく、
ふと思い出すような小さなことまで。
友達への心無い発言、とかね。

自分は身勝手で非協力的で
(しぶしぶ最低限をする程度)

どれか好きなものを早い者勝ちで、というときは
他人を顧みず真っ先に手を出す人間でした。

それは恥ずかしいことなんだと学んでから
自分の過去の行動すべてが
子供じみていて
意地悪で
思いやりがなくて最低だなあ・・・と

それからの私は

他人にやさしく、

をモットーにw生きてきたわけですが

・・・と、
ここまでだったら「いいね!」してくれる人が
たくさんいそうですねえ!!w

でも続きがあります。


違う。
自分の人生は、自分の好きに生きるもの。

欲しいものは欲しいと

言える人が欲しいものを手にするのが
世の中だったんです。

それを言えない弱者に気づかう意味は
自分も弱者になるだけのこと。


今日何が食べたい?と言うと、
必ず
任せる
という人がいます。

が、こちらが決めると、
やっぱりこれはいやだった、と言う人。
(言わなくても表情でわかりますね〜!)

だったら最初に言えばいいのに!

とも思いますが

いいんです。
その人は、言わない、を選んでいるのですから。


そんな視点で自分の過去を振り返ると

自分はなんて、思い通りに、自由に、好きに生きていたんだろうと
つくづく思います。

そう考えてみると
たまに思い出しては後悔していたものすごい量の過去が

全て「アリ」に一変しました。

そうです!
過去は、書き換えられたのです。

とはいえ、

過去に感謝して、過去は素晴らしかったと思おう

的な(まあ、スピ的、とでもいうか)
考え方では自分は騙せませんよw

いえ、騙せる人はそれでいいんです。
私は無理でした。

あの苦しい過去があったから今の自分がある、
全ては繋がっていた!的な
無理な思い込みは

自分をよけい惨めにするというか、自覚はないのですが
人の話を聞いていると妙に優しい気持ちになってしまいます、つまり
自分をそれでなだめてるんだなあ、かわいそうだなあ、と
思えてしまうのでw
自分に置き換えてみると 自分への慰めに他ならないな、と
思うわけで。

本当に未来に向かって生きている人たちを見ると
過去をいちいち、そんな風に意味づけたりしません。

そんなことをしなくても
今の自分がしたいことをするのみ、です。

まだまだ修行の足りない私は
過去を思い出しては後悔していたのですが、
それも書き換えられたのでw


むしろここ数年
他人にやさしく、とかいう意味不明の実践をしていたので
その方が後悔ですw

って、急に意地悪をし出す、って意味じゃないですよw

でもしたくもない優しさを無理に提供するのを
やめました。


例えば・・・そうですね

皆で食事にいって、

フォークをとって皆に渡してあげる、とかね・・・

だって私、それをしてほしくなんですもん。
だって不衛生じゃないですか。
触って欲しくないんです。

(あ、とりやすいようにカラトリーケースを回したり
皆が取りやすい位置に置いたりするのは
もちろんしますよ?)

つまり
そんなことも気が利かなくてできない自分、を
後悔するのももう辞めですw
もちろん他人にどう思われてもかまいません。


私は私であるために生きている。それしかない。

他人の評価を気にしないで好きに生きる、とは
立派な生き方、みたいにイメージされますが

単にこういうことです。
フォークを手渡してあげないようなことです!!ww

ちなみに、それを心からしたくてする人はすべきです。
それが好きに生きる、ということですから。

心では不衛生でいやだなあ、と思っている人も少なからずいて
実は不快に思われているリスクを気にせずに!w


そんなわけで
自分の過去はそんなに悪くなかったな。

映画館で子供うるさいですと言ってしまった自分や
満員電車でおばちゃんに故意に押されたので倍返しで押し返した自分や
会社で皆でお菓子をわけあうときに一番に好きなものを自己主張する自分w
文化祭や卒業式で皆が泣いているのを、バカみたい・・・とひそかに思っていた自分
友達の結婚式で泣いている人を、別に泣くほどうれしいわけでもないくせに
雰囲気で盛り上がって泣いてるだけなのでバカみたい・・・と思っている自分W
(親族の場合はこれに非ず)
皆で協力して何かをやりましょう、が嫌いな自分。


うん、やはり悪くない。

その自覚があることも悪くないw


過去は書き換わったので
もういいや。

これからは未来、つまり死ぬまでをどう生きるかを考える。


まあ、それでも虚しいことには変わりないけれどw

なんだか自分をまるっと肯定できる、って
こういうことなんだなあ、と実感したわけです。

それは、肯定したからいいことがある、とか
幸せを呼ぶ、とかじゃないんですよね・・・

したいように生きていた、と思えたら
それは成功の人生です。
他人にどう評価されようとね。



いかがでしたでしょうか。
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