ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

人の根源的な悩みとは

ロゴスの小径へようこそ。

人間の、根源的な悩みとは
希望したわけでもないのにこの世に生まれ
そして希望したわけでもないのにその時期もわからずに死ぬこと。
そして死後はどうなっているのか2014年現在では
わかり得ないこと。

これ以外の悩みは
本当にどうでもいいこと、なはずです。

たった一人でこの世に生まれ
たった一人で死んでいく。

この世のことは、自分だけしか知り得ない。
誰も自分の心の中は理解してはくれません。
また自分も他の人を理解できません。
してるつもり、にはなれますがw

理解したいのであれば
徹底的な議論しかありません。

この映画おもしろいね、といっても
全くそのおもしろさが同じかどうかを検証するには
言葉で伝えあうしかないですもんね。
しかし、1本の映画の刷りあわせ、どころか
一つのリンゴを食べた時の気持ちでさえ
通じ合うことはありませんよね。

私の感じたこの甘みと酸味は
あなたの感じたそれと全く同じなのか違うのか

それすらわからないのですから。

と、まあ
そんな「どうでもいい」考えても仕方のないことを
徹底的に考えてしまうのが哲学する人ですが

その他の人は、
そんなこと考えずに気づかずに生きている、

と思いきや

実は人間は全員が気付いているそうです。
その孤独の寂しさに。

人の悩みは、人間関係がほとんどかな、と思っていましたが
それも更に分解して理論していくと
結局人は、寂しい、に行きつくそうです。

人は寂しい。

だから悩む。

人は寂しいと生きていけないそうです。ウサギみたいに。

人はとても寂しく孤独です。
しかし、孤独で死んでしまわないために人には
自我と言われるものがある、とされています。

自分を自分が認める。

けれど、その自我というものはとても弱くて
それだけでは人は自分を保ちきれない。
その時必要なのが他人だそうです。

他人から認められたり
あなたって、こういう人ね、
と言われて初めて安心するそうです。

だから孤独から抜け出すには
他人が必要だそうです。

つまり、理解しあえるかどうかが肝心なのではなく
孤独で死んでしまわないために
自分を認めてくれる他者が必要なのです。


ところで今までの人類は、「自由」を獲得するために
戦ったり命を落としてまでして生きてきましたよね。

よく言われることですが、自由を手にしたからこそ
同時に
現代人は孤独になってしまっているそうです。

この孤独の寂しさを紛らわせるために人には
3つの行動があるそうです。


まず、お祭りなどの特別な日を作って
そこで皆で盛り上がったりすること。
その間は、日常を忘れて孤独や寂しさも忘れますよね。
でも、その期間が終わればまた孤独の中に投げ込まれます。

そして
芸術(この場合、アートという意味だけではなく
工場のモノづくりなども含む、とにかく制作すること、です)に
のめり込むこと。
その時間だけは、孤独を忘れられるからです。
でも、その期間は短く
すぐに孤独が襲ってきます。

それから
手に入れた自由を手放すこと。

これは
サッカーの応援などで同じユニフォームをきて皆で盛り上がるようなことに
表れているそうです。

何を着ても何をしても自由であり、
応援は一人でもできるはずです。
けれど、わざわざ同じ服を着て同じ応援をします。

私も昔プロ野球ファンだったので、その楽しさは理解できます。

まるで他人と自分が一体になったようなあの感覚。

学校や会社でも制服を着ることで
自分はその団体に所属しているということから
孤独をごまかせているのだそうです。


いま、日本はとても危険な状態、と言われていますが

先日オリンピックの話でも書きましたが、

ニッポン、チャチャチャ、とやっているアレもそうです。

皆で同じように頬に日の丸をペイントして
同じように応援する。
一つになって盛り上がる。

日本人であるということでまとまる。

やっと手に入れた
自由を手放し、
皆と同じ行動をする。


いま、日本、って流行っていますよね。
日本の中で。

なんでも和風、が売れたり

私が日本画を始めたのも、そんな雰囲気の中で、です。

それは、

絶対的な孤独、寂しさの裏返し。

わかりやすい例はナチスだそうです。

国がどんどん発達して
個人主義も進み自由を手に入れた国民は

寂しさから、人とまとまりたくなります。

強いリーダーの下、なにも考えずに
皆と一体になる。
同じ旗を掲げ
同じように手をかざし。


日本は、それに近い状態にあるそうです。

てっきり利益を得たい人たちが
馬鹿な国民のナショナリズムを育てているのかと思っていましたが

そうではなく、
国民自分たちが孤独からナショナリズムを育てていたとは!

そして恐ろしいことは

人が(私も含め)
自分の寂しさに気づいていないことです。


ところで、この絶対的孤独を解消する方法がひとつだけあります。
エーリッヒ・フロム(精神分析者)の説によれば、それは

「愛すること」

だそうです。(恋愛という意味だけではなく)

「愛されること」ではなく「愛すること」であることに注意です。
このあたりは心理学のお話になるので割愛しますが

ちなみに日本では、愛すること、より愛されること、に重きをおかれているので
(そういえば 愛されメイク、とか どうやったら相手に愛されるか、の情報ばかり・・)
孤独のままなんだそうです。



とはいえ結局
人を愛しても
孤独を紛らわせることに変わりないとしか思えないので
人を愛することが解決策、とならない人種が哲学を続けて
いまだに世界には哲学者が存在するんでしょうね。

人を愛したところで、死後の世界や生まれた意味、死ぬ意味、
そもそも人間ってなんだ?ということが全くわからないのですから。


やはり、知を愛する
しかないようですw


いかがでしたでしょうか。
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