ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

皆で成し得ること とは

ロゴスの小径へようこそ。

日本人て、皆で何かひとつのことを協力しあってやるのが好き、

とか良く言われますよね。

仕事にしても個人プレーは嫌われて
チームの歯車となって貢献してなんぼ、みたいな。

よく海外と比較されますが

この思想ってどこから出てきたんでしょうね?

そもそも日本人の気質は
真面目でオタク、と言われています。
職人さんの世界も武士にしても
ギリギリまで自分の美学をつきつめるオタクの世界。

皆で協力して何かをしよう、というのは
海外の思想ですよね。

戦国時代の戦争のしかたも
はじめは自分が武功を立てるために
一人抜け駆けしてしまうような時代から

統制のとれた軍隊のような戦争のしかたを
海外から学んだわけで。


会社を皆で成功させたい。
売上をあげたい。

それには一人一人の力が必要で
皆で一致団結する必要がある。

とはいえ会社の歯車となって自分を殺して生きるのには
限界がある。

でも、もし自分のしたかったこと、自分がワクワクするような仕事をすることで
会社が発展するようなことにつながっていたら?

それなら自分の生きがい、楽しみが
会社の本来の目的、売上アップに貢献するのであれば

それに越したことはない。
自分の目的が会社に貢献するだけなので
自分は歯車だとは言えない。

いい思想ですね。

・・・で、これが
マルクス主義系の思想です。

そうです!
この思想は昭和まで日本が引きずってきた
海外では19世紀の思想。

この思想のベースには、やはりキリスト教歴史観か、
人間をメインに考えた歴史観か、という
深い問題が隠されてはいるのですが。


皆で何かを成し得よう、的なのって
実は昔から苦手でした。

なぜなら
自分の失敗で人の足をひっぱるのも嫌だし、
人に足をひっぱられるのも嫌だからです。

だから
グループに分かれて競う、みたいなのも嫌いです。

そんな自分って精神的に子供だとか
どこか性格が悪い、みたく思ってきたのですが

それが「正しいものである」というのは
とっくの昔の古い思想だったんですね。
社会主義は成功しなかったのですから。

まあ、社会に出れば仕事で
皆で協力しあわなければいけないこともあるのですが。


世の中の
耳触りの良い言葉って

ほとんどが実は
古い思想の残骸だったり
国民をコントロールする言葉だったりするんですよねえ・・・。

宗教的な言葉も多いですが
たいていは本来の意味で使われていません。


ところで、
だからといって一致団結しなくていいんだ、とも言えますが

そういう風に考える人は少なくて
やはり皆で協力して何かを成し得るのが素晴らしい、と
されているので

その必要もないのに、無駄に皆で何かをしよう、というのに反発すると
風当たりは強くなるでしょうから
覚悟が必要ですw


私たちが
常識なんだと考えていたことは
実は普遍的に正しいものでもなんでもないということ

しかもこれは
学ばないと知り得ないんですよねえ・・・。

これまた耳触りのいい言葉で

「常識なんかに捉われるな」
「自分の生きたいように生きよう」

とか言われても
根拠がないんですから
聞いたときはその通りだ!と思っても
すぐに忘れてしまうわけですw


思えば私には思想的な学がなかったので
生きることがとても難しくなっていたようが気がします。

自分を悩ませてきた
いろんな人が言ういろんな適当な
しかし
耳触りのいい、もっともだ、と思わせるような言葉たち。

その根拠を知ると
根拠の意味さえ知らず上澄みだけを使っているだけの言葉たちに
振り回されてきたことに気づきます。


学びがなぜ必要なのか。

それは自分の人生を生きるため、だったんですね。

第二の人生、ってよく言いますが
いま、自分はそれを歩き出したような感じです。


いかがでしたでしょうか。
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