ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

厄年を知っていますか?

ロゴスの小径へようこそ。

厄年、を気にする人が意外に多いのですが
私には厄年はありません。(!)

うちは親も、祖父母も厄年がありませんでした。

なぜなら

厄年を気にせず、厄払いも全くしなかったからです。
特にその年に災いがあった記憶はありません。

初めての厄年のとき’、友達たちがこぞって厄払いをするので、
厄払いはどうしたらいいのかと親に聞いたら

あれは迷信で、神社の営業の一端だから
しなくてもいい、うちはしたことがないし
自分もしなくても何も起こらなかった

と言われたので、
な〜んだあ、なら面倒でなくてよかった、と。
それきりです。w


ツレも厄年を気にしないので
厄年はありません。


さてこの話をすると、

決まって言われることがあります。

いま、あなたも思いませんでした?

「でも」

と。


「でも、厄年というのは意味があって、思春期や出産なんかで
体調を崩す年だから、という根拠があるんだよ」

と。

これ、言われるたびにおかしくておかしくて!!

仮に、その通りだとしましょう。
厄年あたりに、ちょうど体調が変わってくる、と。

で、

それを「厄除け」したら、かわせるってこと????

としたら、

年齢による体調の変化、なんて関係ないじゃないですか。
だって祈祷すれば回避できるんですよ???
としたら年齢とは関係なく、むしろ経済力に関係するのではないでしょうか!w


それだけもおかしいというのに、

その年齢に体調が変わる、とかその年齢に悪いことが起きる、と言う統計は
存在しないそうです。
つまり事故率も他の年と変わらないということです。


まあ、それでも神社仏閣の存続のため貢献するのは大事ですし
(私もお賽銭は5円や10円なんかにはしません。
だって入場料もなく、気持ちのいい思いをさせてくれるんですから。)

それで安心できたり、運気が変わった様に思えるなら
それは意味のあることだと思います。

それならそれでいいんですよ。

でも、

「統計でいくと、その年に体調の変化が・・・」みたいな
科学的根拠みたいのを(しかも実存しない)持ち出す、
そこがおかしいんです。

仮にデータがあったとして、そこまでは納得できても、

「だからお参りに」って!!!


宗教と科学をないまぜにすると
無駄にお金を使う結果になるんですが。

科学的根拠がなくても、信じるのが宗教なのに。
(正確には、信じる「しかない」)

厄年は私にはなかった、と言うたびに

「でも統計では」と来るので
そのたびに笑いそうになります。

統計では、と誰に聞いたんでしょうね?
それ、広告のキャッチフレーズ(しかも誇大広告)同様なのにね。
その統計の数値を出して、と突っ込みたくなりますが
大人なのでしませんw

そんなわけで
厄年の無い人生をおかげさまで送っております。


同じように、
厄落としが効く、と思っている人は
厄年をかわせますよ。信じているものが正解ですから。

厄落とししたのに、悪いことが起きた、というのを
非常に良く聞きます。
厄年だから・・と。

お祓いを信じないならした意味ないのにw


ああまたもや
シニカルブログになってしまいました・・・

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