ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「弱さ」の正体

ロゴスの小径へようこそ。

犬の容態は明らかに悪化、
きっとこのままもう静かに
眠ってしまうのを待つしかないのでしょう・・・
という今日。

できるだけ近くにいたくて、出かける予定はつくれませんが
ツレに買い物を頼まれたこともあり、
近所に買い物へ。
ツレがいるので、一人で置いておくわけではないのでまだ気が楽です。

すると・・・
20分もしないうちに、帰ってきた方がいい、と連絡が。

自分で買い物を頼んでおいて帰ってこい、ということは

よほどのことだと覚悟して帰ると・・・

得に変化なし。


ちょっと水を飲まない、とか鳴きだした、とか
そんなだったと思います。

自分の買い物を頼んでおきながら
面倒を見れない、ってどういうこと!?と腹が立ったのですが

そこで気づきました。



違う。



この人は
怖いんだ、と



犬が死んでしまうかもしれない。
それは私ももちろん怖い、けれど
ツレはその事実を直視したくないのでしょう。
怖くて触ることもできない。
だから私に戻ってきて欲しかったのです。


男性ってむしろこういうところ、弱いような気がします。
死に限らず、病気をしても・・・例えば
健康診断の結果が再検査でも検査にいかなかったり。
忙しい、は言い訳で実は怖いからですよね・・・。


ところで今朝は犬を病院へ連れていくか
迷っていました。
老犬を病院まで連れて行くのは犬にとってもストレスでもあり

ほぼ動かなくなって眠る彼は
苦しくもなさそうで

このまま眠るように逝かせるほうがいいのか

ここで点滴で延命することも可能なのは
過去の経験からわかっていました。

が、その延命は私の希望であって
彼(犬)の希望なのか??

とてもとても迷いました。

先代の犬のときもですが、ツレは
連れて行っても無駄だから、という姿勢。
しかしそう強く意思表明するわけでもなく、
決定権は私にありました。

もちろんそういう選択もあり、
私は迷っていたのです。

でも、そこで気づきました。


「弱さ」とは目の前の出来事を受け止めないこと。

ちなみに、受け止めきれない、ではありません。そうでなくて
受け止めない、です。

私は犬を自分の判断で病院に連れて行くことに決めました。
もちろんそれはよくない結果を呼ぶリスクもあります。

けれど、犬が自分で決められない以上、
飼い主がそれを引き受けるしかありません。


「強さ」とは
自分の目の前の出来事を責任をもって引き受けること。
結果は関係ありません。

それは犬のことだけでなく
病気の場合だけでももちろんなく

自分自身のこと全てがそうです。

何かを決意するときに
よく聞くのが、

このタイミングで●●になったからこれは引き寄せだから、
神様のお導きだから、

それで決定する、という弱さ。

もちろん、後で振り返るとそうだったかも、は
ありですよ。
当然決断は自分がした、けれど
あんな偶然、やはりお導きだったんだね、みたいな。

けれどそうではなくて

もし今獣医さんが通りかかったら診てもらおう、というような。


もちろん、人生は同じように過ごせます。

たまたま獣医さんが通りかかり診てもらうもらうのも
自分で決意して責任をもって診せにいくのも

結果は同じです。

けれど

死の間際

自分の人生を「強く」生きた人と
そうでない人の差は実は歴然だと思いませんか。


ところで結果をみて、

あんな状態に病院へつれていったのか?!
もしくは
なぜ病院へ連れて行かなかったのか?!

他人は好きにいくらでも判断してきます。

が、

関係ないのです。
後悔しないためには、強く、自分で決めるしかない。
そんな他人の評価を気にして生きるのは
意味がないことです。


車の運転のできない私はひとりで10キロの犬を抱き
片道15分を病院へ歩きました。
ぐったりとした犬を抱いていくのはとても大変でした。


結果、
犬はいまだ危険な状態ですが
点滴と投薬で、もし高熱が下がって食べ物を食べれば
助かるかもしれない、と判明しました。

ツレはそれを知るとうれしそうでした。
今まで見ないようにしていた犬に声をかけたり。

つまり、静かに死なせたいわけでも
病院へ連れて行かない確固たる決意があったわけでもないのです。



ところで私はもう一つ決行したことがあります。
長年私はいろんな判断をツレに任せてきました。
ツレの方が頭がいいし冷静ですから
その方が確実だ、と思ってきたのです。

それは親の言うことを無条件に聞いてしまうようなレベルに
長年の間で、なってきてしまっていました。

それを辞めることにしたのです。

そしてもう一つ。
言いたいことを言うことにしました。

え!それだけ?と思うかもしれませんが
長年結婚生活を送られている方なら少なからずわかると思います。
言って面倒なことになるなら黙っていよう、とか

傷つけることになるなら言わずに自分が我慢しよう、とか。


それも辞めました。

それを言わないのは人間関係を円滑に・・・ではなく
単なる「弱さ」です。
(そして、先日も書きました、「箱」に入っている状態です)

何も言わず伝えず
わかってくれない、と愚痴る・・・愚痴る、で解消できれば
それでもちろんいいのですが

そうでは済まないことも多々ありますよね。


部屋を、犬の闘病用に模様替えしました。
これも以前ならツレに相談し、却下されたらあきらめていたでしょう。
けれど今日は勝手に模様替えをしました。
自力でやるので文句は言わせません。

ここでもうひとつ「箱」から出れれば
自分で決めて、さらに手伝ってもらうこともできたと思いますが
未熟者なのでwまだそこまでは出来ず、
自力で苦労して模様替えしました。

そうそう、「箱」から出れていたら
病院へ歩いて行かずに、車で送り迎えしてもらうことも
可能だったはずです。
実際ツレもお酒を飲まずに待機していたようではありました。
そうと知りつつ、「手伝わせなかった」のは私が「箱」にはいっていたからです。
でもそれでいいと思っています。


犬は死・・・「虹の橋」へ渡ってしまうかもしれません。
けれど

これからは、
強く、目の前の出来事に向き合って自分で決める。



・・・あ、ここで
「そのことをわんちゃんは教えてくれたんだよ」的なことを
すぐに言う人がいますが、ムカッとするので辞めて欲しいです。
そんな事実は証明できませんし、
もし実際そうであるなら、
むしろ教えてくれなくてもいいから生きていて欲しいのですから。

とはいえ、当事者が自分で勝手にそう思うのは自由です。
それで心が休まることもあります。
が、他人が無神経に言うべき言葉ではないと思います。
・・・

以前は私も言っていたと思います、そんなようなこと。恥ずかしい。ごめんなさい。


哲学とは「死」への準備だと言いますが
こういうときは
本当にいろいろ深く思考してしまいますね。


私の人生はきっと、ここでまた切り替わります。



「強さ」とは、
目の前の出来事を自分で引き受けて決めていくこと。
それは結果に全く関係ありません。

「弱さ」とは、それをしないで逃げること。
優しさとは全く違います。

やっと、わかった・・・。



いかがでしたでしょうか。
更新の励みにしております。良かったら応援クリック、
よろしくお願いいたしますm(__)m


人気ブログランキングへ