ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

「納得」するしかない

ロゴスの小径へようこそ。

その後愛犬はかろうじて息をしています。
それでも生きたいのか
楽になりたいのか

死についてものすごく考えさせられます。

たかが犬、と思われるかもしれませんが、

その人にとってどれだけ思いを占めていたものか、が問題なので

人間の死だから重大、ということにはなりません。
それが正しいという定義もありません。
キリスト教思想では人間は別格ですので、
そういう思想が蔓延しているだけです。

ちなみに仏教思想では動物も全て同じ生きものです。
仏陀の最後は動物に囲まれてますもんね。
’・・・しかし女性は蔑視されています。
男女同権の世の中に向かっているのは
女性でも救済されるとしたイエスの思想のおかげです。


まあ、とにかく
それが何であれ誰であれ、
その人が大事に思うものの喪失、というのが
その人の思考を変えるわけですが


ちょっといま思考がまとまらないので、
最近考えていることをバラバラと書きだしてみたいと思います。
あとで何かしらの思考につながるかもしれませんし

誰かの思考のきっかけになれば少し報われます。



一番考えてしまうのは、仕事のこと。
ちなみに自宅で仕事をしていれば、ある程度時間の自由はありますが
その責任の重さなどを考えるとそれはそれでキツイものです・・・が
ともあれ今は外で仕事をしているので
その中で出来る範囲のことしかできない。

私にとっては人生の一大事、しかし
仕事は休めない。期間が決まっているなら休めますが
介護のように、先が見えない状態で休めませんよね。

先代犬のとき会社を休まず、一人で逝かせたことをいまだに後悔していますが

にもかかわらず
仕事を休めないことに気づきました。
治療に月20万近くかかります。
それを支払うには働くしかありません。

あるいは後先考えず休む・・・いえ実際は何週間も休むのは不可能なので
辞めることになります・・・選択もあります。

月20万とはいえ、何年も続くような状態ではないので、
看取るまではなんとかなるでしょう。

しかしその先の仕事の保証は何もないわけです。
というか、仕事、という意味だけではなく
今の職場は(自然と仕事について、も思考してしまうのですが)
自分にはとてもいい環境・いい仕事内容で

それを自ら手放すのに躊躇してしまっているのもあります。

また私にはもう一匹の老犬がおり、
彼女の介護の時のためにも資金は必要です。


・・・と、自分に言い訳をしているような自分。
しかたないよ、と思う自分。
自分が許せない自分。

結局、
犬の為でもありますが
「自分が」後悔しない道、を模索しているのかもしれません。

両方は掴めないことが世の中には必ずあるので。

ものすごくお金がある人なら
こんな悩みは無いわけです、当たり前ですがw
知人に、まだ若いのに億単位の貯金がある人がいます。
しかも親から譲渡されたお金、しかも親もまだ健在。

そう考えてみると、仕事ってなんだろう・・・と思ってしまいます。
生きるためにはせざるを得ないもの、という定義は
どうやら成り立たないようです。

生きがい、といって自分を騙すのも方法ですが、
それをすると、定年後生きがいを無くして・・・という
例の社会現象に行きつきますね。

定年の無い仕事で一生を騙すことも可能ですが、
死の間際まで仕事ができるかどうかがポイントになりそうです。
私の両親はまさにこれで、仕事=生きるになっています。
自己欺瞞かもしれませんが。(本人がそれで幸せならそれでいいのですが)



さて次に考えるのが自分の死について。
暫定ではありますが、
お墓を決めようと思います。

ツレの家の墓は言語道断としてw
自分の家の墓も、結局土に還れないのでなんだか嫌な気持ち。
私は墓参りはしないし、しないでくれてかまわないので
樹木葬にしようと数年前から決めていましたが、
具体的に動いてはいなかったのです。

それが、家のそば、犬たちが眠るペット墓地の近くにあるお寺が、
樹木葬を始めたそうで

桜葬もあるようなので、桜が咲くころ下見に行こうかと思っています。

そして犬を看取ったら
身の周りを整理しようと思っています。
というのも

もう一匹看取る必要のある犬がいるのですが、
彼女はツレがかわいがっているので、絶対になんとかしてくれます。

親は弟夫婦がなんとかしてくれるでしょう。

噛み癖があったために殺されるはずだった私の黒い犬は
私だけが触れて、
私だけが愛して
私だけが可愛がれた犬。

だから彼を看取るまでは絶対に死ねない、と
(しかし亡くなる人は全員が、●●までは絶対に死ねない、と
思うのだと思っています・・・)

旅行に行かなくなったのも
介護もありますが、
事故を少しでも避けたかった、という思いもありました。
(ちなみにそうしてびくびく生きてきたわけではなく、
それまでは毎月のように旅行に出るほど旅行好きでした。)

彼を看取れば
もちろん思い残しはたくさんありますが、

自分がいないがために殺されてしまうかもしれない命、の心配は
なくなります。

その開放感!

命に対する責任、ってこういうことだったんですねきっと。

だから、お金をかけて施設に入れられるならまだしも
それもできずに介護するしかない老人が
道連れに自殺・・・なんていう事件も(「悲しい事件」と書きたいですが
そんなに安易に常套句を使えませんでした)起るのですねきっと・・・。
まあ、人間の場合は実際は、しかるべき方法で保護の道があるとは思いますが・・・。


ともあれ
死についてものすごく考えるようになりました。
自分のお墓が決まれば
なんだかすっきりしそう。

自動引き落としになっているジムその他の情報も整理して
ツレに渡すつもりです。ツレの情報も欲しいけれど
開示してくれなそうだなあ・・・w

まるで考えるとそれが現実になってしまうかのように
人は死について考えることを避けますが
(私もそうでした)

そんな迷信に惑わされない人だけが
死への安堵率をあげているのではないでしょうか。


そしてもう一つ。
これまた当たり前ですが、「永遠はない」ということ。
ペットはほぼ先に逝くので
動物を飼っている方は実感してしまっていると思いますが。

いま、この非常事態のような日々。
私も仕事以外は犬に関わることをしており
昼休みも電車で一瞬の帰宅で終わり、
帰宅後は即病院へ、
睡眠時間は激減・・・

こんな日々も
このまま永遠に続くように思えてしまうのですが

これにも終わりは必ずあって

私はまた旅行にいったり制作したり
大学に行ったりして
生きていけることになるのでしょう。

まあ、次の犬がいるのでそれにも永遠はないのですがw

そう思うとやはり、
過去を思うことにも
未来に期待をすることにも
あまり意味はなくて

いま、どう生きているか、というだけ、になるのですが・・・。


バラバラと思考を並べてみました。
最近、これらのことをぐるぐるぐるぐる考えているような気がしています。


犬のことは、(いえ多分人間でも)わかり得ないので
結局、自分が
これでよかったんだ、と納得する道を模索するしか
ないんでしょうね・・・

ん?もしかしてそれって、
自分の人生そのもの、もそうかもしれません。
と今思いついた。
今度思考してみます。


いかがでしたでしょうか。
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