ロゴスの小径 〜心の空洞を埋める方法〜

やさしい「哲学」が世界観を変えます。「スピリチュアル」で幸せになれないような気がする方へ。

心を癒す、本当の「共感」

ロゴスの小径へようこそ。

他人のことは知り得ない。
わかったようなつもりで、心を覗くこともできなければ
言葉では偽りが必ずある。

世界で知り得るのは、自分の気持ちだけ。

それは大前提ですが

それでもやっぱり、共感できることってあります。

それは、何かしら自分の経験から。
つまり、人の悲しみを見て、自分の悲しみと同調させるので
悲しみを共感したかのように感じるのでしょう。

それはでも
なんて優しいんだろう、と思っています。

犬のことで今私は、常に非常態勢。
本当にギリギリです。倒れそうです。
最近一人で食事ができなくなってきたので
(おなか減るのに食べる気がしない)
精神的に本当にキテルなあ・・・と思うのですが

近況をSNSにアップした時の友達や
犬友達たちがすぐに電話やLINEをくれること

その思いは、表面的ではなくて
(風邪ひいた、とか聞くと
お大事に〜とか言うけど、ほんっと表面的ですよね。
なんなら、ご冥福を・・・だって表面的。)
心の底からなのがわかる、のは
その人が似たような体験をしていたりするから。
(そうでない場合もありますが)

よく、
自分自身も無理しすぎないようにね、と
言っていただけるのがとてもありがたいのですが


今朝もらったメールは泣けました。


倒れてでも無理してでもがんばってね



でした。
つい最近、同じようにわんこを亡くした友人です。

そうなんです。
無理しない、と言いたいけれど
無理するしかない状況なんです。
だからそこで、無理しないでね、は
なんというか、病人に、「大丈夫?」と聞くようなものです。
大丈夫じゃないから病人なわけで・・・。

一生続くわけではないとわかっているからこそ

むしろ自分が後悔しないように、
出来ることは全てした方が自分のためでもあるんです。
そして何より
あと数日の命のためなんですから
ここは無理してでも、その子を心地よく送るのがいいんです。


反面、
そういう体験があるからこそ、
無理しないで、と言ってくださる方もいて

それはそれで優しさがしみるわけですが。


心のケア、スピリチュアルケアの現場では
同じ傷を持った人が集まる、というのがよくあるそうです。

例えば同じような事件に巻き込まれたような人・・・
子どもを亡くしたり、
強姦にあったり・・・・

煙草やアルコールの依存症なんかもそうです。

同じ病気をもつ人もそうですよね・・・特に癌など・・・。


同じ体験をした人が集まって
自分の体験を話すだけ。

もちろん、それでもわかり得るわけはありません。
だからでしょうか。意見交換はしないそうです。

する、というやり方もあるのかもしれませんが
大学で習った範囲では、ありませんでした。

また先日、被害者同士の意見交換でお互い心を傷つけあった例を
テレビでみました。
わざとじゃないんです。ただ、同じ傷に見えながらも、
やはり実は「違う」ということです。


そういう、他者の、同じ経験の話を聞くだけで
また
話すだけで

人は癒されるんだそうです。

でも、解る気がしますよね・・・。


私が犬を失う、という事態に
犬を失う経験をしたことのある友人は
自分の経験を思い出して
一緒に泣いてくれます。

残酷ですよね・・・思い出させてしまって。
でも、一緒に同じ悲しみ(と思われる)で涙してくれる安心感。

もちろん、反対に友人の犬が亡くなったときは
私も泣きました。

それは、「友達がかわいそう」という同情の涙とは
全く違うものです。
そうではなくて、かわいそうだった自分を思い出し、
だからこそ、同じ気持ちで、
同情なんかではなく、心から痛みをわけあって泣けるわけです。
(ちなみに同情、は常に自分が上の立場にある、と
思っているから生まれるものです。それでも優しいな、と
私は思っていますが)

他人は自分の鏡、とはこういうことも指すそうです。

心に寄り添う、ってこういうことです。


死に至る犬の経過を
嫌な思いで見ている人もいることだと思いますが
関係ねえ!(笑

にもかかわらず
寄り添ってくれている友達たちに感謝。


余談ですが同じ体験された方のブログも泣けます・・・
最近本を読む気も何もしないので、
ブログ巡りしています。
悲しいし泣けるのに、やはり癒されます。

辛いことがあるときは、
そういうブログ巡り、も心を癒すひとつの方法になるかも
しれません。

いかがでしたでしょうか。
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